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南アメリカ旅行
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アメリカのビザ
なきついて取ったアメリカのビザ
アメリカ大使館でアメリカの入国ビザを申請しました。当時アメリカに入国するには、滞在がどんな短期間であれ入国ビザが必要でした。なかなか面倒だったのです。でも、なぜ、ブエノスアイレスのアメリカ大使館か、といいますと、実はこれにはある切実な問題がありました。
当時、日本の貧乏旅行者にとって、もっとも旅費を稼ぎ安いところはアメリカの大都会でした。私は南米へ来る前、カナダのモントリオールで、その旅費稼ぎをしましたが、本当はカナダではなくニューヨークで稼ぎたかったのです。行けばよかったのに、とおっしゃるかもしれませんが、当時は日本人が日本ではなく、海外でアメリカのビザを取ることはとても難しいことでした。日本人へのビザの発給は在日アメリカ大使館しかできなかったのです。
それまでに私は、ヨーロッパにある多くのアメリカ大使館や領事館に出向いては、何度もビザの申請を繰り返してきました。南米に着てからも各国にあるアメリカ大使館でトライしてきました。
でも、ことごとく拒否されていたのです。もしアメリカに入れないとなると、日本はおろか、ヨーロッパまでの飛行機代もありませんから、私は大変なことになります。従って、どうしてもビザの取得をあきらめるわけにはいかなかったのです。若さでカバーできるものでもありません。そんな訳で、ここブエノスアイレスでも、だめもとで申請してみた次第です。
最初はやはり、予想通り、NO!という冷たい返事でした。でも食い下がりました、何とか在日アメリカ大使館に照会してもらえないかと、、。すると、“やるだけ、やってみますけど、時間がかかりますよ”と、意外にもあまり聞きなれない言葉が返ってきました。”多少の時間”なんか問題ではありません。頂けるなら何日でも待ちます。私には時間だけはたっぷりありました。、、、、、、仮にだめでも、、、初めて聞いた温かい言葉でした。
そして、その3週間後、やっと、本当にやっと、宝のようなビザが下りたのです。そのアメリカ大使館の担当の、美しいセニョリータがまるで天使のように思えました。事実私はその窮状を彼女に救ってもらったのでした。思わず握手を求め、強く握ってしまいました。
おかげで、その半年後、無事アメリカ入国を果たすことができたのです。
ブラジルのビザ
ブラジル入国も意外と面倒でした。今では考えられないことです。
ブラジル大使館でビザを申請しようとしたところ、国境を越える交通機関のチケットの提示を求められました。しょうがないので、旅行代理店へいって最短での切符を買おうとして、トラベラーズチェックを出しました。ところが外国人はドルの現金で払わねばならないといいます。今度は現金化しようとし大手の銀行へいきました。ところがバンクオブアメリカを含めて、どこもチェックを現金化してくれません。アルゼンチンの中央銀行も同様です。トラベラーズチェックはだめだそうです。
意外な展開で、数時間、銀行と旅行代理店めぐりですっかり疲れてしまいました。
万策尽きてもう一度ブラジル大使館へ行きました。事情を話したところ、今度は入国のための鉄道の切符と、所持金についての証明書を日本大使館から発行してもらえばOKとのことでした。
駅にいくのも一苦労でしたが、何とか切符が買えました。今度は日本大使館です。個人に対して保障人になることはできないとかで、頭から相手にしてもらえませんでした。何も金をくれといっているわけではないのです。いただいたパスポートの1ページ目を読んでいたので、少しは何かしてくれるのかと思ったのですが、、、ただ迷惑がられただけでした。
在外公館なんて、普段はのんびりやっているところが多いと思うのですが、日本大使館に限らず当時は何か彼らに警戒させるものがあったのでしょうか。それとも私が非常識なのでしょうか。それほど汚い身なりでもなかったし、そんな大それたことをお願いしたつもりは無いのですが、、、。本当に困っていたんですよ。
国民の税金をふんだんに使い、メイドとプールつきの家に住み、週末は観劇にと文化的で緊張感など無い優雅な生活を送る彼らに、1貧乏旅行者の悩みなど、どうでも良いことであることはよく理解できることではあります。
三度ブラジル大使館に行きました。所持していたトラベラーズチェックを出して見せて、それまでの事情を説明し、やっと何とか納得してもらいました。最初から強引に押す手もあったかもしれませんが、背水の陣で望んだだけに、3度目は説得のしかたにリキが入っていたのかもしれません。ビザをもらうと、それまでの疲れも吹っ飛びました。
ウルグアイ
そんなこんなで、結局この街には3週間ほども滞在してしまいました。その間ラプラタ川対岸のウルグアイへも行ってみましたが、アメリカのビザが気になって旅行といった気分ではありませんでした。ただ、クラシックカーが普通に走り回っていることにおどろきました。現在はわかりませんが、当時は時間がさらに数十年戻ったようなそんな錯覚さえおぼえさせました。好きな人にぜひ見せてあげたいですね。ただ、川一つ越えただけで、走る車の形があれほど変わるものでしょうか。
程なくイグアスに向けて発ちました。
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