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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

アルジェ

地中海へ、さようならアフリカ

灼熱の砂の世界から穏やかな地中海へ。
長い過酷な旅の末にアルジェと地中海があたたかく迎えてくれました

タマンラセットの夢のビールとイスラム

 翌日も日が昇ると同時に急に暑くなってきます。昨日と同じような1日が始まります。車は相変わらず上下左右に激しくゆれ続けます。日差しはますます強くなってきます。空は真っ青に晴れ上がり周囲の地面はまターバン,ビール,イスラムぶしくて注視できないほどです。

皆そろそろ疲れがたまってきています。誰かが冷たいビールが飲みたいと言い出します。そうだなと返事があります。タマンラセットに着いたら思いっきり飲むぞーっと、威勢の良い希望に満ちた声が上がります。私はビールも含めてアルコールはだめですが、冷たいジュース、いや冷たければ水でいいから浴びるほど飲みたいというのは、彼らのビールと同じです。

アガデスから3日目、タマンラセットに着きました。近くにアハガル山系を控えた予想以上に大きな町です。トラックを降りた足で向かったのはもちろんホテルです。泊まるためではなく目的は唯一、ビールです。ところがそこではおいていないといいます。急いでもっと大きなホテルに行きました。そこにもおいてないとのことでした。そこで、この町ではイスラム教で禁じられているアルコールは、どこでも一切置いてない旨教えてもらいました。あんなに楽しみにしていたビールですが、皆すぐに納得しあきらめました。

ビール、ビールとは騒いではいても、みんなアルコールがイスラム圏でご法度であることは先刻承知です。ただ、イスラム圏でも、大きな町の大きなホテルではたいがい、異教徒向けにアルコールを用意していることがあるので、ひょとして、、という淡い期待があったのです。すぐあきらめたといっても彼らの落胆は相当のものがあったと思われます。それを不満も言わずぐっとこらえたのは、私にとってやや意外でした。

異国の習慣や価値観を尊重することに慣れていない場合、“ビールぐらい飲んだっていいじゃないか”などと自分たちの考えを押し付けたり、つい不満を口にしたりするといったことがあるかと思います。しかし彼らドイツ人とスイス人は誰も、そんなことは一言も口にしませんでした。異民族との交流する機会の多い欧米人故の態度なのでしょうか。それとも彼らが大人だからでしょうか。

ともかくもしょうがないので、ホテルの中庭でパック入りジュースで到着を喜び合いました。ジュースの冷たさが内臓にしみわたりました。ここはサハラ砂漠のど真ん中、地中海まであと2000Kmです。

砂嵐との遭遇、熱風とターバン

砂嵐,熱風,砂埃 トラックを乗り換えアルジェへ向かいました。相変わらず熱い熱い砂漠がどこまでも続きます。タマンラセットを出て2日目、地平線が黄色くなっているのに誰ともなく気がつきました。
30分ほどおいてまた見ると、その黄色い部分が気の性か少し高くなっているようです。その後も気をつけて見ていると確かにどんどん高くなっています。やがてその高さが45度ほどになりました。

もうすぐ空の半分が覆われそう、、と思った瞬間、いきなりものすごい風が、強めの台風以上の風と熱気、そして砂埃が吹き付けてきました。
太陽は砂に隠されてあたりは黄色っぽい暗闇になります。思わず顔を布で覆っても、60℃ほどもあろうかという熱風と砂が体中に容赦なくたたきつけてきます。
それは創造をはるかに絶するものでした。これが砂嵐というものでしょうか。隣に立っていたスイス人が感きわまった声で話しかけてきますが、ゴーッという風の轟音にかき消されてまったく聞こえません。

ふっとトラックの荷台に目をやると、布で全身を覆った現地の人たちがじっとうずくまっているのが目に入りました。そうなんです。あの頭に巻いた布はそもそも、イスラム教徒のファッションや宗教上のものではないのです。砂と熱から身を守るための、きわめて実用的な要請に基づくものだったのです。この土地に住む者にとっての生活必需品なのです。容赦なく体中に入り込む砂を感じながら、それまでの疑問が一挙に解けたような心地よさを感じました。

でも、うずくまっている旅行者はいません。好奇心の塊たちは、はしゃぎ、笑いあい、むしろ熱風と砂を全身で受け止めて歓喜の雄たけびをあげていました。まったく予想外の出来事に、しかも想像以上の強烈な体験にみんな暫く興奮が冷めませんでした。
それまで止まっていたトラックは、見通しが利くようになるとまた走り始めました。途中タンクローリーが道からはずれて横転していました。砂のやわらかい場所にはまってしまったようです。砂嵐はかなり長い時間続くものです。次の町についてからもしばらく強風がおさまらず、薄暗くなった町の中はいたるところで砂埃が渦を巻いていました。

インサラからの快適な道、山の緑と青い地中海

 インサラからは道が舗装されています。現在はタマンラセットまで舗装されています。白茶けた世界を黒々としたアスファルトの道がまっすぐにはるか地平線まで続いています。振動の無い、うそのように快適な道をひた走ります。やがてアトラス山脈が見えはじめ、どんどん高くなってきます。地中海への期待が高まります。

山に入ると急に緑が現れます。緑は土ぼこりをかぶりまだくすんでいますが、緑のまったく無い山の南側とは別世界です。海岸に近づくにつれ、自然も人も家も何もかもが急激に変わります。全てがみずみずしく生命に満ちあふれていました。

アルジェに着いたのは暗くなってからです。アルジェの街は狭い海岸から海にせり出した山の斜面アルジェ,地中海,祝福,別世界,アトラス山脈に広がっています。闇の中に山の斜面は光で埋め尽くされ、海岸から見たその光はまるで巨大な劇場の観客席のようでした。ゆっくり近づくに従いその光は次第に高く大きくなり、私たちはその中に吸い込まれていくような錯覚を覚えました。夜のアルジェは、やっとの思いで目的地に到着した私たちを、その宝石のような光でまるで祝福してくれているかのようでした。

翌日船着場の近くの公園で目を覚ました私たちが見たものは、目の前にどこまでも広がる青い、青い、本当に青い地中海でした。海はとても雄大で、その青さはたとえようのない美しさです。天気の良くなかったモンバサを除くと、ギニア湾以来久しぶりに見たきれいな海でした。

さようならアフリカ

 数日後、私はマルセイユ行きの船に乗っていました。ジブラルタルから渡ることも考えましたが、残念ながら、それ以上旅を続けるだけのお金がもうありませんでした。それに、体調もあまり芳しくありません。なにより、寒くなる前に何とか仕事を見つけなければならない、という思いもあってドイツまでの最安、最短ルートをとることにしたのです。
前日までの晴天から一転、その日の地中海はひどく荒れていました。鉛色の海に雨が降りしきり風も強くフェリーはよくゆれました。白っぽいアルジェの街とアトラスの山並みが次第に遠ざかっていきます。煙る雨の中にアフリカが淡く遠く消えていきます。

ふっと自分の手の甲を見ました。日に焼けた手は、自分の手とは思えないほど、老人の手のようにしわだらけです。そのとき初めて、自分の身体が長期間の慢性的な栄養不足に耐えてくれていたことに気がつきました。
雨が打ち付ける窓際の椅子に横になり目を閉じると、たった500ドル持ってカナリヤに渡ってからの10ヶ月間の、楽しかったこと辛かったこと、通り過ぎた町や村、そこでお世話になった沢山の人々のことが熱く、熱く思い出されました。

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