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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

現地の天気
カイロ

地中海をベイルートからアレキサンドリアへ

小学生のときに見た記録映画“アフリカ大陸を行く”が、私にとってアフリカとの初めての出会いでした。広大な草原と野生の動物たち、、そしてキリマンジャロの白い頂とエキゾチックなその名前の響きに惹かれました。

初めてのアフリカ 砂塵と歴史の世界へ

 ベイルートからエジプトのアレキサンドリアまでは、定期フェリーのエジプシャンラインがあります。12時、港を離れると、海上からは美しいベイルートの町並みが見渡せます。すでに山頂が白くなったエルブールズの山並みを背景に、その白い町並みはよりいっそう美しさを増します。いざアフリカへ、というよりも、あの山並みの向こう側数千キロに渡ってベイルートの町並みとエルブルズ山脈横たわる荒涼とした砂塵の世界と、その先のインドからの道、来し方を思い感慨無量でした。

船はとても大きく、様々な国籍の人々が乗り合わせています。東北の田舎育ちの私が始めて黒人の方を見たのはこの船の中でした。アラブや欧米の商人、ビジネスマンと、アフリカが近いことを感じました。
デッキでエジプトへ勉強しに行くというイギリス人と知り合いました。彼は一つ年上の二十歳。気が合い、夕食後もデッキで星を見ながら自国のこと、世界のことそして夢を夜遅くまで話しました。暖かい土地柄とは言え11月、夜のデッキは毛布なしには過ごせません。毛布をかぶりゆれる星や陸の明かりを見ていると、明日はアフリカであることが次第に強く感じられ、気が高ぶるのを抑えられませんでした。

翌日の午後、地中海の明るい日差しと中世を思わせる港の活気の中、船はゆっくりと接岸しました。接岸の軽い衝撃を感じたとき、初めてアフリカの入り口に着いたことに鳥肌ものの感動を覚えました。
現地の方に対して行われる、けんか腰とも取れるかなり手荒な入国審査を横目で見ながら、アレキサンドリアを後にしたのは5時過ぎでした。当時エジプトはイスラエルとの戦争で戒厳令下にあり、残念ながら国内の自転車での移動は許されませんでした。

スフィンクスとピラミッド 深夜の見学

その日は、船で知り合ったアメリカからの留学生の家に、あのイギリス人と一緒にお世話になることになりましたスフィンクスとピラミッド
彼の家はギザのピラミッドのすぐ近くにあります。遅い夕食後、皆疲れてはいましたが、そこは若者同士、それからピラミッドを見に行こうということになりました。

10時過ぎ、もちろん見学時間はとうに終わっています。人っ子一人いないピラミッドの周りは物音一つしません。敵性国民のアメリカ人にとっては危険でさえあります。でも若い好奇心の塊たちには躊躇はまったくありませんでした。

それから深夜の見学が始まりました。始めて見るピラミッドは、折りからの月光に照らされ表面がててらてらとして輝き、満天の星空に向かって堂々と立つ姿は人を圧倒していました。その威容からは、私にもエジプト5千年の崇高さのようなものが感じられたものです。

そこに銃を持った警備の方がやってきました。何か注意をされたようです。ところが、少しばかりのお金を渡すと積極的に案内をかって出てくれました。彼の持つ薄暗い電灯を頼りに、それと言われなければ気がつかないような小さな入り口から入り、細く複雑に曲がりくねったいくつもの通路をとおり、いくつかの名のある場所を案内してもらいました。
唯、薄明かりの中では形も良くわからず、言葉も通じず、それが何なのかもほとんど、いやまったくわかりませんでした。そんなことより何よりも、深夜、世界のピラミッドの足元を、少しびくつきながら歩き回っていることが、無性に楽しくて仕方がありませんでした。スフィンクスの顔も月光に白く照らされ神々しく輝いていました。

翌日ももう一度ピラミッドへ行ってみました。そこは老若男女の観光客と中学に小学生の団体、それに煩わしい客引きであふれていました。残念ながら幻滅です。スフィンクスもとても小さく見えました。今思えば、あんな風にピラミッドを感じられた自分が非常にラッキーであったと思わざるを得ません。 
皆さんにも是非、もし可能であれば月夜の見学をお勧めします。しかしながら、現在は国内の原理主義者などの活動により、警備が非常に厳重になっておりますので、間違いなく無理でしょう。その代わりに、ピラミッドやスフィンクスライトアップして"光と音のショウ”を行っています。それもとても素敵ですよ。

カイロからアスワンへ ナイル川を見ながら

残念ながら自転車での移動はかないません。ナイル川沿いにアスワンまで鉄道を使うことにしました。列車は何本もあります。快適なエアコンつきの特急は特に外国人観光客に利用されるようです。
ツタンカーメンの墓がある王家の谷への入り口ルクソール
私はアスワン行きの夜行を使うことにしましたが、これがまた筆舌に尽くしがたいものすごいものでした。最も安い3等は大きな荷物を持った人々であふれていました。すでに乗り口までいっぱいになった車内にさらに大きな荷物を押し込もうとする人、それを中から押し返す人。窓から乗り込もうとする人、屋根に乗っている人などで、いや大変なものです。

ここで普通は、人事なので“大変ですね”と感動するだけなのですが、今回はそうもいっていられません。私の自転車が入れるスペースなどあるわけが無いのです。どうしたものか思案していると、そんな私を見かねたのか、駅員が特別のはからいをしてくれました。機関車には護衛の兵士用のスペースがありますが、そこに乗せてくれたのです。椅子などはありませんが、自転車が置けるだけでもありがたいのに、護衛まで付けていただき本当に感謝です。ありがとうございました。

 夜が明けてからは、列車からは東側に白茶けた砂漠がまた西には狭い穀倉地帯をとおしてナイル川が見えます。その先にはまたわずかな緑をはさんで、白茶けた砂漠に続く丘が見えます。通り過ぎる緑の中には村や町が、のんびりと牛を追う子供や洗濯の女性らが眺められます。時折遺跡と思しき建物が見えます。このパターンはカイロからアスワンまで変わりません。

ナイル川は大きな船が行きかいます。その多くは観光客を乗せた“ホテル船”です。移動する高級ホテルに泊まりながら川沿いに点在する主な遺跡をめぐるたびです。ホテルのレベルは4星や5星はざらで、デッキにはジャグジー付きプールやバーなどもがあり、日光浴などをしながら、あるいは世界中からの旅行者と旅の話をしながら、ゆっくりと流れる時間そして刻々と変化する風景を楽しむことができます。観光地が川沿いに集中しているエジプトならではの旅行のしかたです。8日間程度をかけるのが普通のようですので、時間がある方、ゆっくりと旅したいという方は是非試して見てはいかがでしょう。

ご存知のようにエジプトは、原理主義者の動きが活発で、遺跡見物の観光客の無差別殺人事件などがおきています。政府は遺跡をはじめとして、観光客が多く訪れるところには銃を持った兵士を配置して厳重に警備させています。少々物々しさが漂いますが、治安がよくなるまで、当分はそのような状況が続きそうです。


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