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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

ジャングルをカナンガへ、奥地に生きる白人

ジャングルの中の悪路を命がけで荷を運ぶ白人たち。
奥地の村に住む白人と金髪の女の子。

日用品を満載したトラックとベルギー系白人シャルル

船着場は早朝からすでに人でごった返していました。コンゴ川流域は多くの支流を利用した船による輸送が主流です。キンシャサや流域の町に運ぶのでしょう、ヤギや鶏などの家畜から様々な手作りの日用品など山のような荷物で船はいっぱいです。

そこへ荷物を満載したトラックがやってきました。聞けば500Km先のカナンガまで行くといいます。乗せてもらうことになしました。このトラックの所有者はサングラスをかけた怖そうな白人です。名前はシャルル。祖先はベルギー出身とのことです。フランス語なので気持ちがうまく伝わったかどうかなかなかわかりませんが、いたし方ありません。荷台の最後尾に居場所を見つけました。すでにそこには現地人の助手が二人乗っていました。
トラック,カナンガ,動物の声,,
川辺から道は上りになります、やがて密林が切れて広々とした高原状の台地のうえに出ました。久々に見晴らしの良い眺めです。どこまでもどこまでも密林に覆われた山々が青くうねり、はるかにたゆたう雲と一緒に雄大な景観を作り出しています。振り返るとキクウィットの町並みが遠く、林の中に白く輝いていました。
しかしそんな風景が長く続くはずがありません。また樹林帯に入りトラックは苦しそうなエンジン音を上げながら、相変わらずの悪路と戦いつづけます。

暗くなると密林はまた違う形相をあらわします。ライトに照らし出された樹木は巨人のようで、荷台の上を通り過ぎていく垂れ下がったつたや、ヤシの葉がまるで動くお化けのように見えます。時々急に現れる川面は月光を反射しててらてらと光り、何か魔物でも棲んでいそうな不気味な雰囲気が漂っていました。

こんな密林の中を、片道1000kmの悪路を荷物を積んで往復するのが彼の職業です。不測の事故の危険と背中合わせの仕事、そんな彼がかっこよく感じられるのは私自身がまだ甘い性でしょうか。日本人に会ったのは初めてということで、大いに気に入っていただきました。

こだまする動物の声と深いもや。初めて体感する密林の朝

密林の朝
目を覚ますと鬱蒼とした密林の上部は深いもやにかくれていました。目の前を川が音も無く流れています。風は全くなく葉がゆれる音さえ聞こえません。そんな静寂を切り裂くように、時折ギャーギャーという鋭い動物の鳴き声がして、それが密林の奥深くまでこだまします。静寂そのものなのですが、濃厚でしっとりとした空気の性でしょうか、それでいて何か生命に満ち満ちているような不思議な感覚です。

同乗している助手が朝食の準備をはじめました。彼らの姿ももやの中にシルエットのようにかすんでいます。やがて、もやの切れ目、木々の間から何本もの光の筋がさし込むようになります。動物の声も複数になりお互い呼応しあうようになると、密林にも本格的に朝がやってきます。かつて多くの探検家も、深い密林の奥でこんな朝を幾度となく迎えたことでしょう。

橋の無い川と悪路、大きなリスクを背負った戦い

密林の中も平坦ではありません。見通しのまったくきかない路は曲がりくねり、絶えずのぼりくだりを繰り返します。何度も川を越えます。大きな川には、車1台がゆっくりやっと通れるくらいではありますが、橋があります。でも小さな川には橋がありません。

そのまま川床を走れる場合もありますが、深い場合やぬかるんでいる場所には大きな板が用意してあり、それを2本渡して通ります。それを踏み外すと間違いなく積荷がパーになります。倒れた車を復帰させるには、気の遠くなるような時間と労力そしてお金がかかることでしょう。先にも後にもジャングルの中の薄暗い道以外、近くには町が無いのですから。慎重に慎重に時間をかけてわたりました。日々大きなリスクを負いながら、それを克服しながらたくましく生きている人々がいることを知りました。

ジャングルに生きる金髪の人々

通り過ぎる密林の中の所々明るく開けたところがあります。その中の広々した草地の上に、小奇麗な、見ただけで豊かな生活を送っていることわかる家々があります。集落ではありません。運転手殿の知り合いと言うことで、何度かそんなところに立ち寄りました。
彼らは皆白人でした。娘さんがいました。きれいな金髪のかたもいます。例外なくとても美しい方たちばかりでした。ただ、私には彼女らの容姿とこの密林が、どうもマッチしなくて困りました。やすっぽい先入観の性だとは思いますが、こんなアフリカの奥地にそんな人々がいることが、どうも妙な気がしてなりませんでした。

あるお宅では、子供さんがこれからヨーロッパの学校に入る予定であることを伺いました。この地に生きがいを見出して住み着いた親でも、子供のことを考えるとそこで暮らすように勧めることはできないのでしょうか。それとも彼らは、教育を得てまた故郷に戻ってくるのでしょうか。密林の奥でも、日々そんな何処にでもあるようなことが繰り返されているようです。

ご主人様のご帰還と歓声、家族との再会

4日目の夕方薄暗くなった頃目的地のカナンガに着きました。シャルルに何処でも良いから降ろして欲しい旨伝えたところ、今日は遅いから家に泊まれとのことで、お言葉に甘えさせていただきました。それが、、その後1ヶ月近くも御世話になろうとは思いませんでした。
ご主人のご帰還と助手の家族
彼の家は町外れにあります。積荷と助手をそのまま乗せて家まで行きました。彼の家に続くまっすぐな50メートル程の道の両側に10軒ほどの家が並んでいます。正面に大きな家が見え始める場所から、いきなりけたたましくクラクションが鳴り続けました。するとどうでしょう。そのすべての家の中からそこに住む女子供が飛び出してきたではありませんか。そしてみんなワーッという歓声をあげ、両手を高くかざして身体中でトラックの到着を喜んでいるようです。

後で分かったことですが、彼らはシャルルの使用人の家族です。同乗の助手2人もその家族の父や夫でした。彼らも車の上ではしゃぐように手を振っています。本当に嬉しそうでした。キンシャサ間の、時間的にも精神的にも長い長い往復だったのでしょう。久しぶりの家族との再会はさぞ嬉しかったに違いありません。

カナンガの1ヶ月 奥さんのお目当ては女王アリ

結局長居することになりました。思えばこんなにアットホームな気持ちになれたのは、ドイツを出て以来です。混血で美人の奥さんのジャクリーヌや10歳になる息子のアラン、そして時折たずねてきたお客さんがたと、とても穏やかで楽しい時間を過ごさせていただきました。

午前中はアランとすごす時間が多かったようです。昼食後のお昼寝をはさんで、夕方は奥さんとアランと裏の丘を散歩しました。奥さんのお目当ては女王アリのようでした。草の間にアリの巣を見つけては、二人して四つんばいになり棒で突付いて中からアリを追い出すことに夢中です。その中から白い羽の着いた女王アリを見つけると手でつまんで口に運びます。“んっ、あまい”とかなんとか言いながら次から次へと食べつづけます。私も勧められましたが、目の前で足をばたつかせられると、どうも食欲は起きませんでした。知人宅の昼食に招かれて

薄暗くなった頃家に戻ると、使用人によって夕食ができています。帰宅したご主人を中心に話をしながらの食事は楽しいものでした。現地語とフランス語がミックスしたような言語のため、残念ながら言葉は良く通じないのですが、奥さんが片言の英語で概要を話してくれます。込み入った話はできませんが、それでも毎日なんとなく、いやとても楽しく食事をさせていただきました。テレビを見たりラジオを聞いたりしたことは1度も有りません。それが欲しいと思うようなこともありませんでした。

夜はヤシのシルエットの上に、宝石をちりばめたように満天の星空が広がります。食事の後はテラスで涼みながら、また片言の言葉で話します。そうご主人は仕事で留守勝ちなので、話し相手はもっぱら奥さんとアランでした。そんな風にして毎日がすぎていきました。
時に町に買出しのお供もします。叔父さんにワニ狩にも連れて行ってもらったこともあります。体調1mぐらいの小さいやつでした。またある日、仕事でアメリカに暫く行っていたという親戚の方が尋ねてきました。その夜は遅くまで、テラスで流暢な英語でのご教示を頂いたこものでした。

パンタロンとシャツの選別、ルブンバシへ向けて

 かといって何時までも居られるわけもありません。そろそろ発たなければならない旨ご主人に伝えました。
その日の夕食時にアランが泣いていました。奥さんに“何故彼が泣いているかわかる?”ときかれました。私が間もなく出て行くことを知って泣いているのだといいます、、!! 何かグットこみ上げるものがありました。良く遊んであげたからでしょうか。

翌日ご主人につれられて町に行きました。そこで白いパンタロンとシャツを買って頂きました。私のほころびだらけの服装を見かねたのでしょう、餞別だといいます。それではかえって悲しくなってしまいました。

翌日私はルブンバシ行きの列車に乗っていました。見送りに着てくれたご主人には、切符を買っていただいた上にまた選別までいただいてしまいました。あっという間にすぎた1ヶ月。つかの間の安らぎ。見ず知らずの、少し薄汚い旅行者への温かいおもてなしに、心から感謝せずにはいられませんでした。本当にありがとうございます。毎日挨拶を交わした使用人の家族の方々も含めて、皆さんの末永い幸せをお祈りいたします。


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