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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

ヤウンデ

カメルーンの鬱蒼とした密林を抜けて

ギニア湾沿岸は密林地帯です。見晴らしの利かない密林の小道をカメルーンへ。
病み上がりの体力から自転車旅行を断念して、トラックで中央アフリカ高地へむかいました。
通り過ぎる密林の部落と人々、そしてウバンギ川原での語らい。アフリカのど真ん中を通ります。

ジャングルの悪路と蒸し風呂の中をカメルーン国境へ

ラゴスからも毎日苦しい道中が続きます。悪路に加えて、 容赦の無いアップエンドダウンの連続です。エヌグを過ぎたあたりから、やっと起伏が無くなり、また両側の視界をさえぎっていた密林も消えて快適な道になります。遠くヤシやマンゴーが点在し、時折集落が見えるだけの広大な草原地帯が続きます。しかしカメルーン国境に近づくとまた密林が深くなります。道が幹線とは思えないほど細くなり、両側の樹木は空を覆うようになります。風が止まり、道の上は蒸し風呂状態で、身体はいつもびしょびしょです。

見晴らしが利かないため時に方角もわからず、ひょっとして道を間違えたのではないかという不安に駆られながら走り続けます。時折密林が急にぽっかりと開け、そこに集落が現れます。そこだけ道が広場になります。子供たちが走り回り、露天床屋さんが髪を切り、茶店のようなところでは何人かがたむろしています。密林の中に人間のささやかな営みがありました。何かほっとしたものを感じたものです。変ないでたちの人間に気がつき、その広場の動きが一瞬とまります。道を聞くとどうやら間違いないようでほっとします。
密林の中のカメルーン国境,
しばし人々の好奇心にさらされた後、また広場の一角から人気の無い薄暗い道に入ります。上り下りの激しい道は密林の中も同様で、それに加えて見晴らしがまったく無いことは精神的にもとても疲れます。国境の検問所はやはり密林の中にありました。担当官殿はかなり暇だと見えて何かとお世話していただきました。疲労もあり、結局その夜はそこの軒下を貸していただきました。

栄養不足とヤウンデで再発したマラリア

その後も悪路と湿度に悩まされながらの日々が続きました。カメルーンは雨季のせいか道がぬかるんでいるところがあり、そこを越すのに骨が折れました。密林地帯でなくとも風が吹かず、自転車をこぐ身では、まさに蒸し風呂状態が朝から晩まで続きます。それに加えて慢性栄養不足、さらに悪いことにヤウンデ手前でマラリアが再発しました。可能性があることを聞いてはいましたが、やはり来てしまいました。頭が割れるように痛く、歩く時の振動でもズキンズキンときます。キニーネを少し多めに飲んで休むしかありません。これまで酷使してきた身体もそろそろ限界のようです。何とかヤウンデまで行き駅の隅っこにトイレと水場のある快適な場所を見つけたので、そこで暫く休養をとることにしました。そばを取りすぎる人がいぶかしげに見ていますが、そんなことを気にする気力もありませんでした。

当時(今も?)コンゴが国境を閉ざしていたので、南下するガボンルートは採れません。陸路でキンシャサに行くには中央アフリカ経由でザイール(現コンゴ民主共和国)に入るしかありませんでした。(*国境を飛行機で越えることは可能ですよ。)尊敬するシュバイツァー博士の半生を投じた場所に是非行きたかったのですが、それは次回にとっておくことにしました。

実はその後寄寓にも、それとは知らずに仕事で博士の生家のある町の近くに赴任する機会がありました。生家はおとぎの国のような家々が並ぶ山間の静かな町にあります。現在は遺品を納めた博物館になっています。サイクリングがてら幾度と無く訪れ、アフリカの密林に思いをはせたものです。この赴任時のことについてはまた別な機会にお話させていただきたいと思います

コンゴのジャングルを走破する体力がもう無いことや、お金が無いので満足な食事と休養が取れず、今後体力の回復は期待できないこと、マラリアの再々発が予想されることなどから、ここで自転車旅行は中止することにしました。アフリカ東海岸まで行きたかったのですがしかたがありません。残念ですがこれまで良くやったと思うことにしました。

バンギへの交通手段、高原をトラック荷台に載って

ヤウンデからバンギへはバスやトラックを乗り継いでいくしかありません。途中までなら1部鉄道も使えます。込み合うバスよりもトラックの荷台がお勧めです。何よりも開放的で涼しく眺めが最高です。また積荷を適当にアレンジすればすばらしいシートが完成します。食べ物を買い込めば準備万端です。トラックの移動はなんて快適なのでしょう。まるで天国です。もう苦しい思いをしてペダルを踏まなくとも、寝ていてもどんどん前に進みます。

車は市場で見つけるのが一番です。長距離トラックが並んでいますので、片っ端からあたるのが良いでしょう。ただ、そのような適当な車が見つからない場合は、どこで下ろされても動じない覚悟で細かく乗り継ぐか、根気良く何日も探すしかありません。あなたのお金は私の何倍もあるはずですので、とにかく“あせらずゆっくり、郷に入らば郷に従え”を心がければ全て解決することを請合います。
中央アフリカ、スコール
バンギまではあまり変化の無い高原状の大地が続きます。多くの川を越えますが、清流とはいかず乾季には流れが無く、空気と同じようにドロンとしています。高台からはたゆたう雲の下どこまでもどこまでも大地の緩やかなうねりが続いているのが見えます。悪路が1200Kmもつづきますのでかなりの長丁場です。疲れたら途中の田舎町にたち寄っても面白いかもしれませんね。名所旧跡は無くとも、都会のホテルでは得られない、忘れられない出会いがきっとあることでしょう。

田舎の人々

田舎に行くと、率直に言って、人々の粗野さが気になります。基本的にみんな善良で素朴な人々と思いますが、それがうまくこちらに伝わらない場合が少なくありません。まず話方です。カメルーンのように旧フランス植民地の国々では、フランス語と現地語を一緒にして話しているようですが、それがいつも怒っているような響きがあります。女性は男性以上に強く、元気が良く同様の響きで話します。

また言葉自体良く理解できないので、どのように返してよいのかの戸惑いが不安をあおります。理解できずにいい加減に答えると、時に相手が理解できずにいらいらしてくるようです。自分の言っていることが相手に通じない、ということ自体が理解できない方が少なくないようです。相手の様子に時に恐ろしさを感じることもあるかと思いますが、気持ちは見た目ほどではないので、ひるまず、まずは明確な態度をとることが肝心でしょう。

スーパーマーケットと豊富で高価な食材

ヤウンデや地方の主要都市にはスーパーマーケットがあります。高価ですがヨーロッパ同等の食材が並んでいます。ですからいくらでも豊かな食生活は可能です。最も当時の私には無縁の世界ですが、、、。市場の露天で、とうもろこしの粉を練って揚げたものと、砂糖たっぷりのミルクコーヒーが定番でした。
たんぱく質は時々食べるオイルサラディンが主で、他に肉類を取ることは極まれでした。またこの辺から、マニヨクというやむ芋をバナナの葉で包んで発酵させたものを、主食とするようになっていきました。慣れればおいしいものです。また、市場ではプランテーンの揚げ物売りも目につきます。とても十分とはいえませんが、こんなものだと思えばまあまあ満足できる食生活です。え、寂しい?ま、普通の感覚ではそうでしょうね?
正直、好物の肉が食べられないのはかなりつらいものがありました。またある日、バンギにいたころ、他の旅行者からチーズの小片を頂いたことがあります。現地人から買ったということで、いわゆるナチュラルチーズです。少し食べてそのおいしさにびっくりです。おいしいだけでなく体中にアドレナリンが満ちていくのが感じられました。いかに栄養が不足しているのかを痛感しただけに、その自家製チーズの存在はありがたいものがありました。その後市場に行くたびに探し回ったのはもちろんです。
ま、食生活についての私の話はまったく参考にならないことは承知しております。、、はい。

ウバンギ川原の国際村、対岸のザイールへ

国境の検問所で、メキシコ人とオーストリア人の旅行者と一緒になり、3人でバンギへ向かいました。乗せてもらったトラックの積荷は幸運にも綿花です。乗り心地は最高です。バンギに入ったとき3人して運転台の上の棒につかまって立ち上がり、片手を振り上げて歓喜の声を上げたものです。バンギにはザイールのビザを取る間滞在しました。マニヨーク,オイルサラディン,ザイール,コンゴ川,
当時は乾季で、国境を流れるウバンギ川には広い川原がありました。大きなホテルの裏手の川原では、簡易テントなどに世界中からの若者が寝泊りしています。私も仲良くなったオーストリア人のフィールキントと一緒に適当な場所に居場所を確保しました。夜は焚き火を囲んでまた皆で様々なことを話します。旅先での経験談から始まって、人生のこと、自分のこと、自国のことそして異性のこと。
話の中に特に変わったこととか驚くことがあるわけではありません。ただ、こうして、アフリカの正にど真ん中で、さほど違和感も無しに彼らと話していること自体に妙に感動してしまいます。
中にメキシコから来たというメチャクチャにチャーミングな女性と話す機会がありました。情熱的な黒い瞳に良く焼けた肌、英語やフランス語を流暢に使いこなす知性。理想の女性は中南米にいるのかもしれない、などと舞い上がったものです。こうして久々の楽しい時が過ぎていく中にも、思い思いの道へ出発する人、また新たにやってくる人がいます。私も1週間後、対岸のザイールのZongoへ向けて川を渡りました。メキシコ人の彼女は最後まで魅力的でした。、、、!

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