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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

ダカール

セネガルからマリへ、大干ばつ地帯を行く

日差しをさえぎるものの無いサヘルの大平原と大旱魃にあえぐ西アフリカ
2度目のアフリカはいきなり、黒い人々と灼熱から始まりました。
疲労困憊して感じる夜の静寂と草原を渡るタムタムの音。

カナリヤからダカールへ、明るい太陽と植民地時代の面影

ケープベルデ,アフリカ最西端から大西洋を望むカナリヤからの船で、セネガルはダカールの港に着いたのはその日の昼下がりでした。東アフリカ旅行から、半年ぶりのアフリカです。デッキから見下ろすと、当たり前ですがどこを見ても黒人だらけです。重そうな荷物を肩に、あるいは手押し車に乗せて忙しそうに動く彼らの汗ばんだ肌は、おりからの強い日差しを浴びて真っ黒くギラギラ光っています。

下船し自転車が降ろされるまで街に出てみます。午後2時、最も熱い時間帯を向かえて、木陰はいたるところ昼寝をむさぼる人々でいっぱいでした。真っ黒な肌にけだるい光のこもった赤い眼で見つめられると、これからの長旅を思い身が引き締まります。

船で親しくなっ旅行者と再会を期して別れ、その日は港の中にある飲食店の奥に泊めてもらうことにしました。2度目のアフリカの第1夜は、耳慣れない彼らの話し声を遠くに聞きながら静かにふけていきました。

その後数日をかけて隣国の大使館を回り情報を集めや入国ビザ取得に費やすことになります。そこで初めて、ギニアが内乱状態にあり外国人の入国を禁止していることがわかりました。そこで急遽コース変更となり、マリからオートボルタ経由でコートディボアールを目指すことにしました。事前に調査していたのですが急なことのようです。場所柄、よくあることと思われますので計画変更もしょうがありません。

広々とした長方形の広場を囲むオフィス街からはダカールの大きさを感じます。そこから放射状に伸びる通りはどれも豊かに葉をつけた街路樹があり、歩道の上の上の木陰はいかにも涼しそうです。特に明るい花柄や、原色系の服装に身を包んだ女の子たちが目に付きます。明るい太陽の下スカーフを風になびかせながら細身の身体が長い足を使って歩くさまは実に印象的です。

自転車で街中を走りまわりました。そこは大都会、少々ごちゃごちゃしたところもありますが、海岸沿いの道沿いには瀟洒な家がたち並び、大西洋を背景にヨーロッパ的な雰囲気を作り出しています。かつてのフランス植民地時代の面影なのでしょうか、その落ち着いたたたずまいは、フランス人が刻んできた長い歴史を感じさせます。

フランス人の世捨て人と漁師の家

朝早く夜は4日間、海岸の漁師の小屋に泊めてもらいました。がけ下にある漁の道具が無造作においてある、まさに小屋です。昼間お世話になったフランス人に紹介してもらいました。彼には自宅での昼食に招いていただきました。奥さんと二人の娘さんとのんびり暮らしているようです。世界中のあちこちで暮らした半生を聞かせていただきました。

彼がハンモックに入って昼寝に入ってからは、お茶を頂きながら奥さんとお話しました。日本にも行ったことがあるとのことで、琴を大変お気に入りの様子でした。日に焼けた肌が美しい奥さんでした。唯、フランスを嫌っていることが気になりました。世捨て人なのでしょうか。

暗くなると一人二人と漁師が帰ってきます。皆で小さな火を囲んで夕食にかかります。夕食といっても、私が見ている限りビスケットとお茶だけです。漁師がそれで足りるわけも無く、メインは他で済ませてきたのでしょう。そうに違いありません。ゆれるローソクの火に真っ黒な肌が輝いています。そして彼らの目だけが異様に鋭く光っていました。唯とはいえ、よくもそんなとこで毎晩すごしたものでした。最後まで話かけてくれる人は現れませんでしたが、この目の細い東洋人を彼らはなんと思っていたのでしょうか。

旱魃と食糧支援、乾燥した草原を渡るタムタムの音

マリの大使館でビザを受け取りダカールを出たのは6日目でした。乾燥した草原が迎えてくれました。起伏もほとんど無く遠くにポツリポツリと潅木が見えるだけです。その向こうに部落の家々が点在しているのが見えます。そしてとても暑くペダルを軽く踏見込んだだけで汗がしたたり落ちてきます。乾燥しているので日陰に入るととても涼しく感じるのですが、その日陰が道沿いにはほとんどないのです。旱魃,タムタム,草原,踊り,食糧支援,ニジェール,ヤシ油

所々にある潅木は日陰を作るほど葉が無いのです。それどころかトゲを周囲に撒き散らし、近づくと自転車がパンクします。パンク修理は泣きが入ります。暑い日向で、しかも水が自由に使えない状況下で手探りでの修理は根気が要ります。そればかりか、トゲはいたるところにあり、やっとの思いで修理してもまたすぐパンクです。本当に泣きました。

そんな日は目的の町に明るいうちに着けないことがよくあります。夜の草原は本当に真っ暗です。頼りは星明りだけ、危険なので自転車を押して歩きます。夜は決まってどこからともなくタムタムの音が聞こえてきます。暑さでボーットした草原を、タムタムの音は遙かかなたから緩やかな風に乗ってやってきます。

ある夜、この先いくら歩いても町につけないことがわかっていたので、道をはずれて音のくる方角に向かって草原に入りました。人がやっと歩けるほどの道が草の間にうっすらと見えます。
真っ暗闇を向こうから誰かがやってきます。二人ずれです。50Cm前に顔があるはずなのですが、真っ暗な中での彼らの顔の様子はまったくわかりませんでした。
へたくそなフランス語のために、変な外人であることはわかってもらえたようで、親切にも、私を連れてもと来た道を戻ってくれました。

1kmほど歩くとそこは小さな村でした。男がたたくタムタムのリズムの中で、多くの女性たちが輪になって楽しそうに踊っていました。その広場に面したところに駐在所があります。その晩はこの軒下をお借りすることにしました。所望して頂いたアルミの洗面器いっぱいの水を飲み干した後、その横の草地で踊りを見ていたら、地べたに敷いた寝袋の上でいつの間にか寝入ってしまいました。
当時この辺一帯は、その後大きな被害につなる大干ばつの真っ只中にありました。日本のテレビ局からも取材に来ていました。またヨーロッパからの支援食料が街中に出回っていました。確かに市場に行っても食べ物が少なく、特に青物野菜がほとんど見当たらなかったのはそのためだったのでしょうか。

その後も来る日も来る日も、灼熱の中木陰の無い道を走り続けました。相も変らぬ潅木と点在する集落、はるかに聞こえてくるタムタム。マリに入ると緑がやや多くなりますが、それでも道のほこりや暑さは変わりません。ニジェール川が近づくと緑がぐっと多くなり、やがて首都のバマコに着きます。

ニジェール川バマコ、ヤシ油と魚の煮込みで栄養補給

隣国コートディボアールのビザの申請にフランス大使館にいきました。担当の女性はあまり心に余裕の無い方でした。このような国ではみなさん、のんびりと心穏やかに暮らされているのかと思いきやそこは人の世、ストレスはどこも同じようです。申請書と格闘の末何とか受け取ってもらえました。
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バマコ滞在中は休養に努めました。といってもお金が無いため、かなめの食事、栄養は思うように取れないので、ひたすらゆっくりするだけです。ある日のメニューです。朝コーヒーとパン。昼バナナとパン。夜コーヒーとパンにオイルサラディン少々。先々のことを考えると、毎日ステーキというわけには行きません。

バマコまでの途中立ち寄った村で、何度か昼食に招いていただいたことがあります。そこで頂いた料理に、魚とトマトなどをヤシ油とともに煮込んだものがあります。それを蒸し揚げご飯にまぶして食べます。庭先で家族全員が大なべを囲み、素手でまっ黄色なご飯を掴みあげます。それを手のひらで握りかためそれを口に運びます。手のひらは表も裏もご飯だらけ、口の周りは黄色の油でギトギトです。

見た目や衛生上はともかく、お味はというとこれがとってもおいしいんです。ご飯もまあまあ、魚のだしも良く効いていて見た目からは予想できないおいしさです。日ごろ栄養失調気味の身には何よりのご馳走でした。久しぶりにアドレナリンが体中にみなぎるのを感じました。

それからお昼寝するという彼らにお礼を言って、また炎天下の中にペダルを漕ぎ出したものでした。おおむね貧しい私の食生活の中では、特筆すべき食事でした。ごちそうさまです。

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