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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

参考データ1

1、気候

エジプト
 雨は降りません。気温は冬場が10℃〜20℃。。やや強めの日差しにひんやりした空気で最高に快適です。夏場は20℃〜35℃で快適です。不快な日本の35度とはまったく違います。日差しは強いので注意してください。

・スーダン
 雨は7月〜8月に少量降るだけで非常に乾燥しています。気温は年中非常に高い。特に4月〜10月は最高気温が40度以上になります。唯、不快感は日本の32℃程度に思えます。日陰に入ればひんやりしますので、日本の真夏よりすごしやすいのではないでしょうか。

・エチオピア
 気温 6月〜9月が雨季。日本の梅雨と違い、午後スコールがやってきてそのまま夕方になるといった感じです。気温は雨季8℃〜25℃、冬場は3℃〜25℃で朝晩はかなり冷える。高原を下りればもちろんジャングルも灼熱砂漠もありますが、標高2400mの高原にあるアジスアベバなどは、暑いという感じはまったくありません。
乾季にも時々スコールはあります。その後夕方にかけて雲が切れていきます。雲はおりからの夕日を受けて、決まって豪快で真っ赤な美しい夕焼けを見せてくれます。とてもドラマチックです。アビシニア高原は乾燥しており、木立と言ってもユーカリの木がぱらぱらと目に付く程度です。
家は土や日干し煉瓦を積み上げて作ったものが多く、その上の木組みの上にとたんを打ち付けただけのものが多いようです。そのため、スコールのときはすさまじい音がして、屋内でも会話ができなくなるほどで
す。ホテルではそんなことは無いと思いますが。

2、アスワンハイダムとナセル湖

 ダムはロックフィル式で1970年完成です。堤防は高さ111m、ダム上部の長さは3.6kmもあり、堤頂部は幅が40mの道路になっています。電供給量は210万KW。ナセル湖はそれによりできた人造湖です。長さ500km、幅は平均10kmにもなるようです。
このダムにより、安定した農業用水の確保が可能となり、砂漠の緑化が行われましたが、同時にナイル川流域の多くの村々や遺跡が水没したそうです。


3、アブシンベル神殿。

 ナセル湖による水没地域の一部の遺跡は、高所に移設して保存されました。アブシンベル神殿の移設はユネスコによって行われ、4年に及ぶ大工事の末、ナイル川より64メートルの高所に移設されたとのことです。現在は専用の飛行場や専用の高速船の運行もあり、内外から多くの観光客を集めているようです。 

4、スーダン。

カイロからスーダンに近づくにつれ、黒人が多くなります。黒人に慣れていない田舎者の私は見たさ半分怖さ半分といったところで、その雰囲気はかなり特別なものがありました。しかし船の中で彼ら彼女らと一緒に過ごすうちに、まもなく違和感はなくなりました。みんなおんなじだと感じられるようになりました。その後数ヶ月、肌の色の黒い人々と過ごすことになりました。
スーダンは非常に大きな国です。残念なのは部族間の争いが絶えず、最近もアラブ系住民による大量虐殺が問題になっております。いつまで経っても貧しさから逃れられない彼らに救いはあるのでしょうか。

5、エチオピア

 またソマリア系の人々の顔は堀が深く、街中では時にはっとするほど美しい女性を見かけます。小柄でやせた方が多く体格的には日本人とあまり変わらない点はとっつきやすさを感じます。
特に中年以上の女性は外出時、シャンマという木綿製の民族衣装をまといます。シャンマの生地を織るための糸を彼女らは自らつむぎます。時間の許す限り、おしゃべりしながら、朝から晩まで糸をつむぎます。
自分たちがシバの女王の末裔であるとの言い伝えなどから、彼らは自国についての高いほこりを持っております。女性も含めて、アフリカ人らしい明るい性格のなかにもしっとりとした意識の深さが感じられます。
皆さんキリスト教徒です。オーソドックスという独特な流れを汲むタイプらしいです。街中いたるところに古い教会があり、敬虔な信者はその前を通り過ぎる時、立ち止まって十字をきります。


6、ナイル源流の探検史。

 ナイル川の源流は長い間欧米人にとって大きななぞでした。それがどこからどのように流れてくるのかの解明は、長い間英国王立地理院の最大の関心事でした。
その過酷な気候や流域に住む原住民への対応など様々な障害があり、その解明を非常に困難なものにしていました。ナイル川を遡上することによる源流への探検は何度か試みられましたが、暑さやマラリアそれに原住民の攻撃などによりことごとく失敗しました。
ある時期、英国はスーダンを支配下に置いたこともありましたが、原住民の反乱により占領軍が全滅するといったこともありました。
源流を突き止めるまでには、リビングストンやスタンレー、バートンそしてスピークなどによる多くの偉大な探検家の努力を待たなければなりませんでした。深い探究心から、未知なるものに命を懸けた彼らが抱いた大いなるロマンに少しでも触れたいと思います。

7、書籍

 ブルーナイル
 ホワイトナイル

8、リンク
エジプト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/egypt/index.html
・スーダン
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sudan/index.html
・エチオピア
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ethiopia/index.html
・エリトリア
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eritrea/index.html
・ソマリア
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/somali/index.html
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