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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

現地の天気
ハルツーム

スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えてヌビア

砂漠にできた巨大な人造湖ナセル湖の遡上と、熱砂の灼熱のヌビア砂漠を突っ切る世界で最もエキサイティングな鉄道のたび。そして砂の中で迎えた二十歳の誕生日

巨大な人造湖 ナセル湖を遡上してスーダンへ

 アスワンから南の隣国スーダンへいくにはナセル湖を船で遡上します。
アスワンハイダムの上から見ると、草木の無い砂漠の中に、忽然として大きな湖が存在していることが感じられます。その岸辺の砂の中には、多くのラクダととも暮らすヌビア人の集落が見えます。日中、空はいつも雲ひとつ無く青く澄んでいて、白茶けた不毛な大地に、わずかばかりの緑と、空を映した湖面の青が実に鮮やかです。アスワンハイダムによりできたナセル湖を渡る。途中アブシンベル神殿が見える。
アスワンからは観光用の高速船が出ています。アブシンベル神殿観光用です。他にアブシンベルへは飛行機も使えるようです。

私が乗ったのはスーダンのワジハルファ行きの庶民を運ぶ船です。2階建て機関船にもう一艘横にくっつけていました。3等船室は両側壁なし日よけのみ、実に見晴らしがよく風通しの良い場所にあります。床板の上に、皆思い思いに自分のスペースを確保しています。あまり広くないので皆お隣さんになります。これから3泊4日一緒に寝起きすることになります。

大半はスーダン人のようです。皆大きな荷物を抱えております。女性は両ほおに3本づつ横に傷をつけていますが、おしゃれなのでしょうか、おまじないなのでしょうか。言葉が通じないので聞くこともできません。といってもそこは人間同士で、やがてなかよくなります。新聞紙でツルを折ったら子供たちに二つめをせがまれました。

真っ赤な夕焼けが終わると、日中の熱気がうそのように、夜はかなり冷えこみます。二日目の夜、急に風が出てきました。そして2艘の船がきしみあい時々ぶつかり合うようになりました。そしてその間からは水が勢い良く噴出すようになったのです。壁の無いデッキはしぶきを浴びた人々の悲鳴と、寝場所を移動する動きで大混乱になります。

やっと風が収まってまもなく、丘の上でライトアップされているアブシンベル神殿の下を過ぎました。横で起き上がって見入っていたイギリス人のフランクが、「さっきの風はファラオのたたりかも、、」とぼっそと言いいました。横になると頭上には満天の星が輝いていました。

翌日は日の出とともに急激に気温が上がり、また長く熱い1日がやってきます。
やがて小さな船上での生活が単調に感じてきたころ、船はワジハルファの桟橋に接岸しました。

ハルツーム,ヌビア砂漠を越えて列車の旅。

 車は乗客と多くの家畜や家裁道具を乗せると、駅に向かって土ぼこりをあげながらいってしまいました。後には私と自転車だけが不気味な風の音の中にとり残されました。車のわだちに沿ってしばらくは自転車がこげたのですが、砂地が多くなりほとんど押して歩くことになりました。
やっとの思いで駅に着いたとき、まだ列車がいました。駅といっても片側が行き止まりの線路があるだけです。本当に線路だけです。駅舎もプラットホームもありません。周囲に見えるものは砂と岩だけ、他には何もありません。

そこで話を聞いてやっと、この先の道が自転車がこげたものではないことがわかりました。もし列車が定刻どおりに出発していたらと考えるとぞっとしました。最も近い集落まで何十キロもある風と砂の中に唯一人取り残されたのかもしれません。
鉄道の始発はヌビア砂漠のワジハルファ、,カルツームへ向けて月の砂漠を行く
 4等に乗ることにしました。これが世界で最もエキサイティングな列車のたびのはじまりです。座席は木のベンチです。4等車両は最後尾です。ただその前の3等のコンパートメントにも自由にいけます。乗客はエジプトやスーダンのアラブの方と欧米からの旅行者です。出発は午後遅くなってからです。列車は何も無い駅を後にし、ゆっくりとヌビア砂漠の中へ入っていきました。また真っ赤な夕暮れが始まりました。

自転車を使えないのは残念でしたが、過ぎ行く風景を眺めているのは、とても快適でそれなりに楽しいものです。と思ったのは最初のうちだけでした。やがて舞い上がる砂ほこりが気になり始めました。窓は開け放しなのでほこりは入り放題です。それでも半年以上乾燥した土地で過ごした身には、何とか我慢できないほどではありません。

しかし4等の車内にいるのが絶えられなくなるまでにそう時間はかかりませんでした。窓からは容赦の無い土ぼこりが絶え間なくはいり続けます。いやますますその量が多くなってきているようです。窓の外はもう煙幕のようなほこり以外何も見えません。タオルでマスクをして口の中に入るのを防いだり寝袋で身体を覆ったりしながら絶えました。3等のコンパートメントも状況はまったく同じでした。窓は閉まらず、そこから差し込む月光が通路で荒れ狂うほこりを照らし出していました。もちろんコンパートメントの中も砂で覆われていました。もう逃げ場はありません。

思いついて連結部から走る列車の屋根にあがりました。するとどうでしょう、驚いたことになんとそこは先客であふれていました。みんなの行き先は一つしか無かったようです。月の光に照らされ真っ白にほこりにまみれた顔や頭が車内での苦闘を物語っているようです。
そこにはもう国籍はありません。走る列車の屋根は興奮した旅行者の楽しそうな笑い声で満ちていました。月夜の青い砂漠、もうもうたるほこりを舞い上げて疾走する列車。通り過ぎる岩山。仰向けになって、さっきまでの車内での興奮を考えると楽しくて楽しくてしかたがありませんでした。
翌日の夕刻、列車はカルツームに到着しました。列車の便数が少ないのでしょう、日本の小都市のそれよりもずっと小さな駅でした。

エリトリアアスマラヘ,砂漠で迎えた二十歳の誕生日

このときスーダンの他の国境は全て閉じていました。部族間の争いなどにより、通れないとの情報が入りました。滞在していたYH(ユースホステル)では暫くその話でもちきりでした。特に金の無い私は、飛行機を使わずに国境を越える方法は無いかと、情報集めに躍起になっていました。同宿している欧米人たちは、各々チャドへ、カンパラへと旅立っていきます。私は最終的に予定通りエチオピアにいくことにしました。国境越えに飛行機はどうしても避けられませんでした。

その年のクリスマスはここカルツームで迎えました。私にとって海外で迎える初めてのクリスマスでした。お国でのように豪華とはいかないまでも、ヨーロッパ人はみな思い思いの料理や部屋の飾りつけなどで祝っておりました。彼らのクリスマスに対する思いの強さの一端に初めて触れた瞬間でした。その料理のご相伴に預かったのはもちろんです。
国境の町カッサラ。二十歳の誕生日を迎えた砂塵の町
エチオピア国境まではルートが2つあります。鉄道とトラックです。鉄道は快適ですが30時間ほどかかります。安上がりで早いのがトラックです。綿花を積んだ荷台などは最高です。自分の身体に合わせて荷物を移動すると簡易ベッドの出来上がりです。

昼は50度の高温になるので、移動は涼しくなってからです。きれいな夕焼けを見た後、夜は寝袋をかけて星を見ます。南十字星も見えます。同乗者がいたら、ゆれる荷台で何時間でもいろんな話ができるでしょう。素敵な旅になるはずです。国境の町カッサラに着いたのは夜中の2時でした。眠い目を開けた時月光に照らし出されたその光景を忘れることはできません。

白く光る巨大で奇妙な形をした岩山が街路樹の上にそそり立ち、なんとも形容しがたいファンタスティックな光景を作り出していました。カッサラはとても美しい町です。カッサラ山の岩峰を背にした町は原色の花々が咲き乱れ、深い緑が涼しげな陰を創っています。その下を原色の服が良く似合う少女たちが、真っ白い歯を見せて笑いながら歩いていきます。ヌビア砂漠の旅人はきっとこの町で疲れを癒したことでしょう。

翌12月29日は私の誕生日です。その日私は二十歳の誕生日を迎えました。覆った砂を払いのけて寝袋から這い出ると、昨日とは打って変わって強い風が吹いていました。あの山も舞い上がるほこりにかすんでいます。"今日から俺も大人だ!あまり自信の持てない生き方だけど、今はやるしかない。何とかなるさ"、と自分を励ます1日でした。翌日空路エチオピアのアスマラへむけてたちました。(*現在アスマラは、エチオピアから独立したエリトリアの首都です。)
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