ガイド
アフリカ旅行記
バンギ
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中央アフリカからウバンギ川を下る。
リベンゲからウバンギ川を船で下りコンゴ川に出る。船上の生活と熱気。
キンシャサへ、ジャングルの中をランドローバーで船着場まで
ザイール(現コンゴ共和国)の首都キンシャサまで船で下ることにしました。フィールキントとドイツ人夫婦が一緒でした。5月は乾季で水が少なく、バンギまで船が上ってこれません。船が出るというREBENGEまでは車で行かなければなりません。比較的開けた密林の中のわだちだけの道を3時間の距離です。
カスタムの担当官ののんびりさのために最初のトラックを逃した私たちは、ちょうど居合わせたイギリス人旅行者に乗せてもらいました。このイギリス人は車で逆方向からやってきたのですが、フェリーが故障しているためバンギへ川を渡れなくて困っていました。他に渡れるところを探さねばならなくなったようです。行ってみないとわからない土地柄とはいへ、なかなか大変なことですね。このカスタムのあるところはZONGOの町(村?)から離れているらしく、住人は担当官一人と蛇をはじめとした多くの動物だけです。
私たち4人はランドローバーの後部荷台に乗りました。道は整備などとは無縁の悪路です。荷台は上下左右に振動の限りを尽くし、着いたときに、4人の中で怪我の無いものはいませんでした。ドイツ人の奥さんは額から血を流していました。REBENGEも木立の中にひっそりとした家が点在するだけの部落です。聞けばそんな船は出ないといいます。他に何人かに聞いてみたところ、そこから10Kmほど上流から出そうだということを聞きつけました。
船着場と物売りの少女
半信半疑で行ってみたところ、そのうわさは本当でした。粗末な船着場にはすでに人と荷物を満載した船が止まっていました。あたりを見回してもそこには家1軒見えませんが、これだけの人が集まるということから、その木立の奥に、多くの人々の生活があることが察しられます。それにしてもどこから船が出るのかをうわさでしか知りえないとは大変なことですね。
川辺でフィールキントと一息ついていると、そこにバナナを頭に載せた少女がやってきました。それを見た私たちは、道中の食事用にとそのバナナを全部買い込みました。船の乗客に売り付けに行く前に売るものがなくなってしまった少女は、あっけに取られた様子でした。船はそのままそこで夜を越しました。
朝もやの中をムバンダカへ、二階デッキと雑魚寝
その朝は重たいもやで明けました。上部がまったく見えない密林の奥でけもののけたたましい声がこだまします。新たな旅立ちはいつも心が浮き立つものです。船は9時に出発しました。
ここの船も動力船にもう一艘横にくっつけていました。船上は人と家畜と家裁道具でいっぱいです。ドイツ人夫婦は個室が取れたようですが、私とフィールキントは雑魚寝クラスです。二階デッキなのでそれほど窮屈ではありません。
ウバンギ川を一路コンゴ川中流のムバンダカへむかいます。船の上はエンジン音に加えて人や家畜の声が入り混じった音でとてもにぎやか(騒々しい。)です。それでもゆっくりと動き始めると、それらもこれから暫く生活を共にする川の中の仲間というような気がしてきて、風景やデッキの下のざわめき全てが妙にいとおしく感じられます。
川は支流なのにすでに幅が数Kmあります。対岸は旧フランス領コンゴです。船は岸から数百mのところをゆっくりと下っていきます。岸には、林の中にひっそりと息づく集落がいたるところに見えます。洗濯をする女性、水辺で楽しそうに遊ぶ子供たち。船の人も岸の人も他人なのに手を振り合うのは万国共通のようです。
日が傾くとみんな夕食の支度です。火をおこして思い思いの食事が始まります。日中良く聞こえた怒鳴りあうような声も無く、なんとなく穏やかな時間が流れます。個室を取った乗客には食事が出ます。また船には乗客相手に商売する人もいて、ご馳走はありませんがひもじい思いをすることはありません。
日が落ちると船は良く止まります。浅い川底は危険なのでしょう。雲の無い夜は満点の星空です。南十字星もこの辺まで来るとだいぶ高くなります。デッキに横になり連れのフィールキントといろんな話をします。得意な星や星座の話などもしました。小学校1年生のとき、学校である映画を見て以来行きたくてしょうがなかったアフリカです。今こうやってそのど真ん中にいることを思い感無量でした。
ドイツ人夫婦と暑く寝苦しい夜
・ある夜、個室を取ったドイツ人夫婦のところに遊びに行きました。するとどうでしょう。部屋の前に人だかりができていました。乗り合わせた現地の若者たちが異常なまなざしで部屋の中をのぞいているのです。彼らを掻き分けて中に入れてもらいました。
入るなり、人だかりの理由がわかりました。奥さんが大変セクシーな格好をしているのです。長めのTシャツの下は薄いパンツ一丁なのです。確かに暑いです。特に部屋の中は蒸し風呂のようです。そしてヨーロッパ人の開放的な感覚もわかります。
そう、マラリアにかかったときお世話になったフランス人夫婦の奥さんも、部屋の中では同じような格好をしていました。外から見られていることを意識しているのかどうか知りませんが、私たちの前でも胡坐をかいて平気です。
そういうことに慣れていない私は、目のやり場に困ってしまいました。暫くして部屋を出ると、いっそう膨らんだ人だかりは、まるで盛りのついた動物の集団のようでした。、、、などと客観的に彼らの理性の無さを批判する資格は、もちろん私にはありません。その夜は何故かいつも以上に暑く感じる夜でした。
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