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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ

ダレサラーム
ナイロビ
キガリ

サファリ、観光のメッカ東アフリカ

サファリに代表されるアフリカの観光地東アフリカは、変化に富んだ自然を背景に、現地の人々と白人たちそして多くの観光客が生き生きと生きる土地でした。私のような貧乏旅行者には少しばかり明るすぎるようです。

マリンディとラム島、世界の観光地アフリカ

 アフリカ東海岸は英語が通じる性か、なんとなく“進んでいるような”気がしてきます。海岸沿いにはダレサラームや、ザンジバル、モンバサなどの明るく活気のある港町や、マリンディやラム島など欧米の若者が集まる場所があります。また、ご存知のように国立公園やキリマンジャロ山、ビクトリア湖などに代表されるように、変化に富んだ自然もあります。マサイの人々,キリマンジャロ,
欧米からケニヤへのツアーは、日本の国内旅行並みに沢山ありますので、きっと新しい旅行ができると思います。詳細な情報についてはその筋にお問い合わせ下さい。
ルサカからナイロビへは、直接あるいはマラウイ経由で立派な幹線道路が通っています。悪路の心配はありません。鉄道もありますが、結構複雑な地形の土地を、橋やトンネルを最小限にして建設していますので、かなり時間がかかるとおもわれます。注意してください。唯、鉄道には鉄道の楽しみがあります。途中の駅ではサルの燻製とか、像の焼肉とか変わった食べ物が味
わえるかもしれません。

キリマンジャロとサファリホテルの社交

キリマンジャロが金色に輝くころ、乗せてもらった現地に住むイギリス人の車でアルーシャに着きました。気を使うのがいやなので彼の家への誘いを最初断ったのですが、何事も経験とその晩は彼の家に泊めてもらうことにしました。
彼は独り者で私は内心ほっとしました。ところが彼はこざっぱりした服に着替えて、町に食事に行こうと言います。着いたところはいわゆるあるホテルの社交場です。広いロビーにはマホガニーのカウンターがあり、サファリルックの紳士、淑女がグラス片手に談笑していました。そしてその周りではご子息が冷たいジュースなどをお召し上がりでした。

およそ私などが入るところではありませんでした。ところがこともあろうに、彼は何人かに私を紹介しはじめたではありませんか。そのとき初めて自分の服装が気になりました。汗と汚れが染み付いたぼろぼろのティーシャツに同様の短パンです。恥ずかしくて恥ずかしくていたたまれませんでした。
特に真っ白なブラウスが爽やかな、16〜17歳ぐらいの女の子に話しかけられたときは、恥ずかしくて、残念で、うれしくて頭がくらくらしてしまいました。夏休みを利用しての家族旅行だそうです。とてもかわいい人でした。(私には白人の女の子は誰でも可愛く見えるようなので、それはあくまでも主観であることをご承知おきください。)とにかく、薄汚い格好の私が、いかに場違いな状況にあったかはご理解いただけると思います。サファリホテルの社交場,アルーシャ

ご両親らの話題は政治問題でしょうか、ファッションでしょうか? ただ、良く聞いていると話の内容は思ったほど高尚なものではないようです。その夜はみんなしてフランスをこき下ろしているようでした。イギリス人のほかにもドイツ人もいましたが、皆自国に対する高いプライドを持っていることに感心しました。その辺は日本人も見習うべきものがありそうです。

唯、汚いTシャツではいけませんね。アフリカとはいへ、何があるかわかりませんので、もし行かれる際はできれば上着を持参したいですね。え?、当たり前。ハイ!  その後もうひとつスポーツクラブに立ち寄りました。そこでもまた紹介されて、帰宅したのは1時を過ぎていました。ともかくも冷や汗をかきながらも良い(?)経験をさせていただきました。
あなたが行かれる場合は是非、上から下までびしっと決めてから行ってくださいね。それから少し英会話ができるといいですね。旅の味わいがきっとぜんぜん違うと思いますよ。
ナイロビは1600mの高原にあるため、赤道直下といってもとても快適です。明るい太陽と澄んだ空気、咲き乱れるブーゲンビリアなど原色の花が貴方を迎えてくれることでしょう。

所持金とルワンダのクーデター

この時点で所持金が300ドルをきりました!どういうことかといいますと、ヨーロッパまで、料理されたものは食べられない、ホテルには泊まれない、金のかかる交通手段は使えないということです。正直、あまり楽しい状況ではありませんね。ここから最安ルートでヨーロッパに向かうことにしました。

当時ウガンダアミン大統領の専横で国内が混乱しており、通過することが困難でした。やむなく道の悪いビクトリア湖の南を回ることにしました。夜に昼に車を乗り継いで5日目の早朝ルワンダの国境に着きました。
ところがクーデターがおきたとかで、この1週間首都のキガリ行きの車は無いとのことでした。次に何時くるのかもはわからないといいます。こんなひどい山の中で、慣れているはずのことなのに、ひどくがっかりしてしまいました。ルワンダ,ウガンダ,ビクトリア湖,キブ湖

そう、焦っていたのです。目標を数千キロも先のヨーロッパに置いてしまったので、進みが遅く感じてしまったことに気がつきました。深呼吸をして、なるようにしかならないさ、と思ったらすこし気が楽になりました。翌日、その日もあきらめかけたところにトヨタのトラックが来ました。
首都のキガリは当時人口5万人です。樹木の中に官公庁が点在する、大きな村といった感じです。ここまで乗せてもらったトラックの運ちゃんが大変親切な方で、ホテル代まで出していただきました。おかげで、ナイロビを出て以来久しぶりにシャワーが使えました。ひげも剃りました。とってもさっぱりしました。本当に感謝です。ありがとうございます。

ルワンダとお隣のブルンジでは昔から民族間の対立の絶えないところです。つい最近も十万人単位で多くの人が亡くなったようです。でも私が接した人々は皆穏やかで、陽気で親切でした。平和が続くことを祈らずにはいられません。

キブ湖と国境周辺の山岳地帯、タフな自転車野郎

国境の町ギセニキブ湖岸の美しい町です。湖の青を背景にして原色の花が咲き乱れ、緑の間に瀟洒な家々が見えます。この辺はいわゆるアフリカ大地溝帯の中にあります。両側には2000m級の山並みが続きます。その先にはゴリラの生息地として有名なルエンゾリ山系があるビルンガ国立公園があります。

ある峠の上でトラックは小休止しました。とそのとき近くの茶店の入り口に止めてある自転車が気になりました。あまりに意外だったのですぐには理解できませんでしたが、自転車旅行者のものであることがわかりました。しかも外国人です。中に入ると、そこに日本人がいました。大阪のNさんでした。短い時間でしたが思わぬ出会いにお互い夢中で話しました。私も自転車を志すものですが、アフリカ中を走り回るNさんにはかないません。すごい人もいるものです。

私はやっと捕まえたトラックなので、とても残念ですがゆっくりしていられません。すぐ彼は見えなくなってしまいましたが、思いがけない出会いに、暫く一人興奮していました。トラックはまた林の中に入り、すぐ視界はなくなりました。


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