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アフリカ旅行記


1-エジプト、初めてのアフリカ


2-スーダンからエチオピアへヌビア砂漠を越えて

3-アビシニア高原をアディスアベバへ

4-参考データ

5-セネガルからマリへ、タムタムを聞きながら

6-コートジボアール、湿潤なギニア湾岸へ

7-参考データ

8-アビジャンからナイジェリアへ美しいギニア湾岸を行く。

9-カメルーンの鬱蒼たる密林を抜けて

10-参考データ

11-中央アフリカからウバンギ川を下る

12-コンゴの密林を抜けて

13-密林に生きるヨーロッパ人

14-象の焼肉とビクトリア滝

15-アフリカ東海岸とサファリホテル

16-アフリカ中央部、気の遠くなるように遅い時間の歩み

17-参考データ

18-ニジェールからサハラを越えて

19-地中海へ、さようならアフリカ


ニアメイ

ニジェールからサハラ砂漠を越えて

行けども行けども砂と土ぼこりと灼熱のサバンナ、そしてサハラの大砂漠。初めて感じる死の危険。

カメルーンから北ナイジェリアへ、そしてニアメイでビザを待

 チャドの首都フォールラミー(現ンジャメナ)を出て、カメルーン、北ナイジェリアのカノを通り10日後ニジェールの首都ニアメイに着きました。ニアメイはすでに砂漠といてもいいようなサバンナにあります。走る車も周りの建物も皆白茶けていて、町中の全てがほこりっぽく感じられます。町を少し歩くと目や鼻が黒くなってしまいます。髪の毛もざらざらしてきます。乾燥していることは私はあまり苦になりませんが、貴方はいかがですか。乾燥が苦手な方もいらっしゃるかとニアメイ,警察署,サハラは思います。

ここでアルジェリアのビザをとるのにかなりの時間がかかりました。雨季が明けないため道がわるく危険だからというのが理由だということですが、どうしてそんなにかかったのか結局良くわかりませんでした。ビザ取得まで2週間ほどもかかってしまいました。
この間、大きな警察署にお世話になりました。車の発着場や繁華街に近く便利な場所にあったことや、敷地も建物も広く緑が多く気持ちよさそうだったことが理由です。警察署から快く了解して頂いたことは何よりでした。
裏庭の一角にある屋根だけの小屋がその寝床です。コンクリートの床は吹き込んだ砂で覆われ外と変わりありません。朝、目を覚ますと半円形の入り口を通して、庭先の明るい木立が微風に揺れているのが見えます。おりからの強い日差しを浴びて、緑はキラキラと輝いています。とても静かで、日本の夏の昼下がりを思わせました。

最初の1週間ほどはスエーデン人のシェルと寝起きをともにしました。朝はブランチから初めて、暑い夜は毎晩遅くまでいろんなことを話しました。北欧の人々の高度な社会福祉から日本のお化けについて、そして宇宙物理まで、実に興味深く楽しい時間をすごすことができました。シェルは爽やかで聡明でとても良いやつでした。
彼はすでにビザがあったので次のトラックで先に出ました。見送りに行って見た荷台の様子に少し驚きました。荷台には荷物と人間が身動き取れないほどに詰め込まれています。シェルも荷物と人に押しつぶされそうです。いまさら驚くほどではありませんが、地中海までこの先まだハードな道が3000Kmも残っていることを改めて思いました。ヨーロッパでの再会を約した彼を乗せたトラックは、もうもうたる土ぼこりの中にきえていきました。
それから1週間後私もやっとビザが下りました。

ズィンダールで遭難信号用の枯れ枝を集める

 ズィンダールから乗せてもらったトラックは意外にもほとんど空荷でした。乗客はスイス人とドイツ人旅行者5人と現地人20人ほどです。ズィンダールで何故か枯れ枝集めをさせられました。それをみんなで荷台に無造作に放り込みます。聞けば遭難時に煙で知らせるためとのことでした。今まで快適だった荷台は枯れ木枯れ枝でいっぱいになり、おかげで私たちの座る場所がなくなりました。幸い?その後それを燃やすことも無く、タマンラセットまで乗客は立ちっぱなしでした。
ズィンダール,アガデス,遭難,タマンラセット
道はズィンダールから北に向かいます。そこからはまさに砂との格闘が始まります。トラックはやわらかい砂の中を苦しそうな音をあげて進みます。400Km先のアガデスまでの間に何度か砂に車輪がとられて動けなくなりました。そのつど乗客は降りて砂の掘り起こし、力をあわせて車を押します。掛け声は日本と同じ“イチニーノーサン”です。もちろんアラビア語でですよ。ワヘッド、エトネン、タラーットというような具合です。エーッ?どこでもおんなじなんだ!! と楽しくなりました。つい声が大きくなった次第です。

アガデスからサハラ砂漠へ、熱砂の800Km

 アガデスはニジェール最後の町です。すでに深くサハラ砂漠に入り込んでいますが、さらにそこから先アルジェリアのタマンラセットまで800Kmは人が住んでいません。同じ800Kmでも整備され舗装された800Kmとはまったく違います。ここは有名なパリ・ダカールラリーのコースでもありますが、今はここには誰もいません。なーんにもありません。サポーターも補給車もいません。あるのは気温50度、砂温度はそれ以上の砂と太陽だけの世界です。それまでいろんなところを旅行してきましたが、ここで初めて“死”を意識しました。邪魔な枯れ枝も急に頼もしくなりました。

十分な食料と水と燃料を積み込んで、いざ、死の世界へ乗り出していきました。道ははっきりしません。どこを走ってもいい場所もあれば、標識どおりに行かないと深い砂に入り込んでしまう地域もあります。標識は長さ数メートルの鉄棒です。1Km置きに立っています。砂に埋もれて出てる部分が短くなったり、陽炎でよく見えない場合は、車を止めて双眼鏡を持った斥候を出します。斥候は砂の高台からそれを確認し車の進む方向を指示します。ランクルなどの4WD車などはどこでも通れるのでしょうけれども、他の車はなかなか大変です。
熱砂,斥候,死の世界,陽炎
太陽にむき出しのまま激しく揺れる荷台では、乗客が絶え間なく続く衝撃と暑さにじっと何時間も耐え続けます。日中はさすがに暑く、潅木のわずかな日陰に車を止めてじっと体力の回復に努めます。現地の方は皆、頭に巻いてある布を解いてで身体を覆います。
私は暑さには強いほうなので、昼休み中に近くの丘に上ってみました。丘の上からはどこまでもどこまでも、熱い熱い死の世界が広がっているのが見えます。はるか下に陽炎にゆれるトラックがなんと小さく頼りなくみえたことか。

井戸水とコーヒー

 地図によると国境に井戸があり水が補給できそうです。個人が持参した水はとうになくなっているので、皆新鮮な水を楽しみにしていました。その井戸の深さは120mもあります。そこには確かに手動ポンプがあり水がでました。ところがです、水は日本のドブのような強烈なにおいがするのです。とてもとてもそのまま飲めたものではありません。
それでもあきらめきれない向きは、沸騰させればのめるんじゃないかとあがきます。沸騰させてコーヒーを入れてみましたが同じです。結局、遭難したときでないと飲めないという結論に達しました。地図には井戸マークがありますが、いずれも通常は飲めないものと思った方がよさそうです。

幻想的な満点の星空、砂の上の寝物語

 やや涼しくなってからまた走り始めます。暗くなっても道がはっきりしているところは走れるようです。夜は正に満天の星です。青くボーッと見える砂や岩の輪郭と、そこから急に始まって反対側に消える天の川が創る光景は、凛として厳しく、またロマンチックで幻想的な美しさがあります。

車が止まると急に静寂が訪れます。風も意外にありません。まだ暖かい砂の上の思い思いの場所に寝袋を敷きその上に仰向けになります。1日中立ち通しのせいで足は結構疲れていると見えて、横になるとスーッと疲れが引いていくような心地よさに浸ります。

日中はあまり話さない旅行者の間でまた話が始まります。見えているのが星だけである性か、星座の話やギリシャ神話の話になりました。プレアデスは日本ではなんていうんだとか、宇宙には果てがあるとか無いとか。たわいも無い話が続きますが、口数が少なくなった頃、砂漠の夜は急に冷えてきます。サハラ越えには寝袋や毛布は必需品です。


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