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ヨーロッパ旅行記
これ以後は北アメリカ旅行の後にお伝えします。
17.3度目のヨーロッパ
ロンドンでバイク探し
18.バイク旅行
初夏のスカンジナビア
19.ワサンタとの再会
20.ポルトガルからトルコへ
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ドイツでは2度、次の旅行の資金を稼ぐため、
ハンブルグとシュタットガルトでアルバイトをしました。
中東やアフリカ旅行後の休養も兼ねた時間は、
旅行中には味わえない仲間との触れ合いの中で、
思いがけなくも甘く、また少し辛い思い出になりました。
エジプトからエチオピアまでの1回目のアフリカ旅行の後、ハンブルグで半年あまり資金稼ぎをしました。また、セネガルから始まった2度目のアフリカ旅行を終えた後には、南ドイツはシュタットガルトで3ヶ月ほど、アメリカへ渡るための資金稼ぎをしております。
その後の南米旅行の後には、オートバイを駆ってヨーロッパを巡っております。
ハンブルグ港での沖仲士や、路上での針金細工売り、メーベンピックレストランでの皿洗いなどが主な仕事でした。
アウトロー的な仕事ではあっても、そこは異国、毎日がとても新鮮でした。
いっぱしに恋もしました。
同じところに長くいると情が移るのでしょうか、あるいはヨーロッパの重厚で落ち着いた町並みがそうさせるのでしょうか、それらは今では最も懐かしく忘れられない町になりました。
http://www.wunderground.com/global/EU_ST_Index.html
http://www.bbc.co.uk/weather/world/west_europe/
初夏から厳冬期まで、北ドイツの7ヶ月。
ハンブルグを基地として、夏はバルト海に面した避暑地で、また秋から冬にかけては、周辺の小さな町や村をめぐって商売をしました。
お金稼ぎの厳しさを感じながらも、その土地の人々の暖かさや古い町並みの荘厳で美しいたたずまいに、時に慰められ励まされました。
夏の終わり、ハノーファーで出合ったドイツ娘に恋をしました。その後秋から冬にかけての週末には夢のような時間が過ぎていきました。なかな資金が貯まらない厳しい針金細工売りの生活の中で、とかく夢を失いがちだった私が、2度目のアフリカ旅行ができたのは彼女のおかげであると思います。
・移動ルート : エジプト〜ギリシャ〜イタリア〜スイス〜北ドイツ(ハンブルグと行商した町や村)〜ハノーファー〜カナリア
シュタットガルトの晩秋から冬、仲間と一緒の3ヶ月。
2度目のアフリカ旅行を終えた年の冬は南ドイツのシュタットガルトですごしました。
幸運にも、スイス系のレストランメーベンピックに3ヶ月の期間限定で雇ってもらったのです。
そこで働く人々は実に国際色豊かです。同僚には私と同年代の人たちが沢山いました。
アフリカから、東南アジアやインドから、またエジプトやモロッコなど中東からも、さらに、アメリカやスカンジナビアからも夢を抱いた若者たちが来ていました。
時にけんかなどしながらも、多くを語り合い、実に楽しい日々をすごすことができました。
そこで、肌の色や宗教、背負ったものの違いを越えて共感することのすばらしさを知りました。
時は11月から翌年の2月まで、クリスマスや新年をはさんだ時期です。外が暗く寒いだけに職場はとても“アットホーム”でした。
・移動ルート : アルジェ 〜 マルセイユ 〜 シュタットガルト 〜 ロンドン 〜 モントリオール
真夏のヨーロッパ、スカンジナビアからトルコまで、バイク旅行の2ヶ月
南米旅行の後、ロンドンで買った中古バイク(ホンダCB250)でヨーロッパをめぐりました。3度目のヨーロッパです。
機動性に富むオートバイでの旅行は、やや速過ぎることを除けば快適極まりないものでした。
白夜のスカンジナビアから、ポルトガルそして地中海岸をイスタンブールまで。夏のヨーロッパは、ただ、ただ眩いばかりでした。
日本を出て5年以上、あと半年あまりで帰国することを決意したそのとき、それまでの体験のすべてが、言い表せないほど懐かしくていとおしく、そして眩く感じられてならなかったのです。
・移動ルート : ニューヨーク〜チューリッヒ−ロンドン〜西ヨーロッパ一周〜イスタンブール
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