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ヨーロッパ旅行記

1.初めてのヨーロッパ

2.仕事探し

3.ハンブルグ

4.針金細工売り

5.逮捕と拘留

6.ハノーファの恋

7.学生食堂

8.行商と晩秋の北ドイツ

9.極寒のクリスマス商戦
10.お別れ
11.2度目のヨーロッパ
12.1年ぶりの北ドイツ

13.メーベンピックレストラン

14.皿洗いと職場の仲間
15.テレサとヘレン

16.ホテルマンへの誘い
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。

18.3度目のヨーロッパ
 ロンドンでバイク探し

19.バイク旅行
 初夏のスカンジナビア

20.ワサンタとの再会

21.ポルトガルからトルコへ 

レストランでの仕事はじめ

メーベンピックというスイス系レストランでの仕事が始まりました。初めての“まともな”仕事です。そこには、様々な国からやってきた人たちが同じ目的のために働く、実に国際色豊かな世界がありました。初めての体験に、毎日が楽しくてなりませんでした。それに、1年前のように野宿する必要はありません。快適な環境のおかげで、アフリカで使い切った体力も急速に回復して行きました。

同期と一緒に仕事はじめ

シュタットガルトに戻って数日後、やっと仕事が始まりました。
初日、通された事務所の中には私以外にもう一人同じような人間がいました。彼も初日のようです。どこかで見た顔だと思ったら、前の日、街角で派手な帽子をかぶってダンスをしていたやつでした。ガーナ人のアケティです。最初、正直、こんなやつらと一緒なのか、、と意味のないおごりを感じました。しかしその後、おりにつけその振る舞いを批判しながらも、持ち場が同じこともあって、彼は最も仲のよい仲間の一人になりました。
私たち新人の指導担当は若いドイツ人女性でした。彼女に、アケティと一緒にあちこちと案内され説明を受けたのですが、やや緊張して聞いている私と比べ、驚いたことに彼の関心事はもっぱら、”どうやって彼女を口説こうか”ということのようでした。早くもその時、彼のそのプレーボーイとしての資質を見せつけられたのでした。その後その実力の程を何度か目の当たりにする事になります。

 このメーベンピックレストランはスイス系の国際的なレストランチェーンです。最近、東京でも見かけたことがあります。場所はシュタットガルトのメインストリートであるケーニッヒシュトラーセのほぼ真ん中にありました。通りの反対側には広々した中央公園があり、その周りを美術館などの文化施設が取り囲んでおります。それを見下ろすようにして2階建てのコンクリートの建物がありますが、その中にレストランがありました(現在は近くに移設されています。)。通りからは良く見ないとそれと気がつかないほど、外壁に化粧っ気ありません。また、特徴のある電光看板は、遊園地でよく見かけるような漫画チックな文字が印象的です。
その後暫く、ほぼ毎日のようにそこに出入りするようになったのです。それは雪の舞い始めた12月はじめの事でした。
雇用期間は3ヶ月です。それ以上は正式な労働許可無しでは不可との事。とりあえず2月までお世話になることになりました。

職場のレイアウト

 通りからコンクリートの階段を上がり、一般客用フロアーの大きな窓の前を通って裏に回ると、従業員用の入り口があります。そこからすぐ階下に下りるとロッカールームあり、そのすぐ先にメインのキッチンがあります。広いキッチンを右に見て進むと左前方に細い出入り口の隙間を通して、高級料理用のフロアーがチラッと見えます。暖色系の明かりの下、高級感あふれる雰囲気が感じられます。その先の突き当たりに、我らがキャンティーン(従業員用の食堂)があります。キャンティーンから戻り、ロッカールームからすぐ、二階へつづく階段をあがると我らが職場があります。

 このレストランにいる間のほとんどの時間をすごした、そのフロアーをご紹介いたします。けして広いとはいえないタイル貼りのフロアーには、一番奥の窓際にU字型に配置された大型の皿洗い機があります。その隣にはもう一つの通路を挟んでアイスクリームなどがメインのデザートコーナー、また、洗い場の向かいにはなべ釜など大型調理器を使った調理場が、その裏にその洗い場があります。その隣がサラダや飲み物を準備するコーナーです。このフロアは一つの出入り口で一般客向けの広いレストランフロアへつながっています。この出入り口は、ウェイターやウェイトレスが頻繁に出入りする場所で、忙しい時間帯は非常に危険な場所にもなります。

アパートは相部屋

 仕事は2交代制です。1回目が朝6時から午後3時まで、2回目が3時から夜中の12時です。1週間おきぐらいに交代します。休みは日曜日だけでした。
宿は希望すればレストランが契約しているアパートに入れます。3人部屋ですがただ同然に安いので、もちろん私もアケティもアパートでした。アパートはケーニッヒシュトラーセを10分ほど歩いたところにあります。細い石畳の通りに面していて古い建物が並んでいる一角にあります。そのアパートも他と負けじ劣らずの古い建物です。観音開きのドアを開けると、天井の高い広いホールがあり、正面に少しカーブした広い階段があります。昔は貴族のお屋敷ででもあったのでしょうか。小さい頃テレビドラマで見たお金持ちの邸宅の豪壮さに感心した事がありますが(今でも感心します。)、そんなところででもあったのでしょうか。
 カーブした階段を上ると2階には部屋がいくつかあります。天井がとても高くどれも広い部屋のようです。大きなベッドが3台置いてありますが、もう2台くらい入れられそうです。天井まで届きそうな大きな観音開きの窓からは通りの向こうに隣のアパートの窓が見えました。ドイツ人の若いコックも泊まっていたようなので、他にも何人かのの従業員がいたと思われますが、出入りする時間帯がみな違うせいか全員と会うことはありませんでした。
 私が入った部屋は3人部屋です。他の2人はアケティとセイロン人のワサンタでした。3ヶ月間寝起きと仕事をともにすることになる仲間でした。部屋は古いのですが、ベッドは真っ白なシーツが掛かった上も下もふっかふかの羽毛の布団でした。最初の夜、なぜかなかなか寝付けませんでした。環境が変わったから?仕事はじめで緊張しているから?いえそうではありません。ベッドが余りにやわらかく、それがどうも身体になじまないのです。思えばこの1年、硬い地べたで寝ることが普通の生活を続けてきました。身体が硬い寝床にすっかり慣れてしまっていたのです。乗るとフワーッと沈むベッドは、素敵なのはわかるのですが、どうも具合が良くありませんでした。

従業員は国際色豊か

 1階フロアのウエイトレスには何故か長身の女性が多く、カリフォルニア人とスエーデン人の女の子です。他に赤いハンカチを首の周りに巻いた粋なドイツ人ウエイターがいます。みんなかっこいいです。
2階の一般客フロアーのウエイトレスはやや落ちます。ユーゴスラビア人のおばさんが目立っていました。洗い場に来ては、いつも下ネタを含んだ冗談を飛ばしては、一騒ぎしていきます。他に北欧出身の女の子が数人いました。ウエイターはドイツ人に加えてエジプト人のオスマン、ユーゴ人、モロッコ人などの出稼ぎ者がいました。

 サラダコーナーのカウンターの向こうには、パキスタン人とインド人のアラシッドがすましています。そしてなぜかその隣に小柄で可愛いアメリカ人のヘレンがいます。頭に載せた白いハンカチがヘレンをいっそう可愛く見せています。そう、1階でウェイトレスをしている背の高いテレサの妹です。アイスクリームなどを担当するのはオレゴン人のウィリアムとバンクーバーから来たキャシー。どちらもそろって長身でがりがりに痩せていました。

 我が洗い場は全員有色人種です。私とガーナ人のアケティ、ナイジェリア人のジェームス、パキスタン人の?そして同室のセイロン人のワサンタです。
一時的にマレーシア人もいました。名前を挙げたのはみな20歳代です。各々文化や宗教の違いは小さくはなく時にいさかいもありますが、
そこは皆外向きな若者、それを越えてお互いよく理解し合い、毎日とても楽しくやれたと思います。
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