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ヨーロッパ旅行記
18.3度目のヨーロッパ
ロンドンでバイク探し
19.バイク旅行
初夏のスカンジナビア
20.ワサンタとの再会
21.ポルトガルからトルコへ
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ROM
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仕事探し
そのとき南ヨーロッパは真夏、最高の季節です。
イタリアでも太陽がさんさんと降り注いでいます。すべてがおおらかで明るく、生き生きとしていました。
イタリアへ
そんな明るい世界にありながら、残念なことに、そのときの私にはゆっくり観光しているほど気持ちに余裕がありませんでした。日本を出てから1年。気がつけば、というか予定通りというか、そろそろ財布がそこをつきそうなのです。早く次の資金つくりに取り掛からなければなりませんでした。
ところが、明確なあてがあるわけではありません。人から聞いた“ドイツに行けば何とかなる”との根拠の無い漠然とした希望だけが唯一の支えでした。今思えばなんとも頼りないことで、空恐ろしい気さえしますが、、、、若かったのですね。
4日目、私は旅行者のわんさかいるアテネを後にしました。そしてその夜には、パトラからイタリアのブリンディシ行きのフェリーに乗っていました。
フェリーは夜10時に出航しました。デッキから眺めるパトラの夜景はとても美しいものがあります。
高台に向かって広がる町の灯とそれが真っ黒な海面に反射して、まるで光の海の中に居るようです。
その後も岸に広がる町や集落の灯が続きます。夜の船は相変わらずロマンチックなものがありますね。
半年前、ベイルートからアレキサンドリアまで乗った船でのことが懐かしく思い出されました。
翌朝、ブリンディジに着きました。イタリアです。初めての国というのはいつも心が高ぶります。黒髪に目鼻立ちのはっきりした女性たちがとても美しく感じられます。そこは確かに、それまでのアジアやアフリカとは違うヨーロッパでした。
ところが、そんな浮ついた気持ちもすぐ脅迫観念めいたものに変わってしまいました。当たり前ですが物価が高いのです。
ギリシャでも高いと思いましたが、イタリアはもっと高いようです。リラの金額の数字が大きいからだけではありません。
これまで節約に節約を重ねて旅行してきた身にとっては、お金が飛ぶように無くなっていくような気がしました。
いやそれは気がするだけではなく、事実そのとおりなのです。そしてスイスやドイツはそれ以上でした。
そのとき、私は、1個100円のサンドイッチにも手が出せませんでした。
世界の観光地、美術の宝庫といえども、当時の私には全く無縁でした。途中、フォッジャ、ローマ、ミラノの駅の待合室で夜を明かしながら、スイスのチューリッヒを目指しました。
スイスへ爽やかな初夏
ミラノから鉄道でスイス国境を越えることにしました。季節は初夏。ヨーロッパは最高の季節を迎えていました。
何もかもが明るく生き生きとしています。
暫くロンバルジアの平原を進んだかと思うと、すぐにアルプスの山間に入りました。緑がとてもみずみずしく感じられます。点在する家々がかわいらしく、通り過ぎる町や村のたたずまいにとても豊かなものを感じます。
国境では簡単な検閲がありました。その間列車は暫くとまりますが、結局パスポートをチェックしてOK。
国境を過ぎると、風景が一変します。アルプスです。静かで大きな湖の上に急峻な山が迫り、その斜面には瀟洒な建物が点在しています。
ルガノ湖半はトンネルが多いのですが、トンネルを抜けたときに見た風景の美しさに驚いてしまいました。湖と山々、そして点在するかわいらしい家々は、初めて見たスイスはこの世のものとは思えないほど美しいものに感じられました。
私は、最初ヨーロッパにはあまり関心がありませんでした。スイスもきれいな国だとは聞いていましたが、正直それほど行ってみたいとも思いませんでした。でもこの目で見て、そのほんの一端を垣間見ただけで、その美しさに圧倒されてしまいました。湖と山々だけではなく、町や村の景観、草花で縁取りした窓の家々がとてもチャーミングです。湖畔では、柔らかな金髪なびかせながら子供たちが自転車で走っています。本当にに美しい国です。
チューリッヒでの仕事探し
チューリッヒで仕事探しをはじめました。そのとき所持金はわずか170ドル。ヨーロッパに着てから1週間足らずで100ドルがなくなりました。仕事に就くことは、急を要していたのです。
ユースホステルで知り合った仲間とレストランに食事に行っても、メニュ−を見てその高さに注文できない有様です。
怪訝に思ったその仲間には、“ん?いや!あまり食欲が無いんだ。”と、ごまかしたりしたこともあります。
いくつか工場やレストランなどをあたりました。3日目、何とか仕事にありつくことができました。工事現場の雑用です。贅沢など言っている場合ではありません。とりあえず暫くは金の心配をしなくても良さそうでともかくも一安心です。部屋も飯場の1室を貸してもらいましたので、宿泊費は抑えられます。まず、当面の生活費を確保するめどが立ったのです。
ドイツ語がができなくて戸惑いましたが、肉体労働には自信があったので、暫くがんばれば何とかなると思われました。
やれやれです。
ところがです。世の中、、全く甘いものではありませんでした。わずか3日後、解雇の憂き目に会ったのです。
その日、雇ってくれた監督の仲間らしい人がやってきました。毛色の違う私を見つけて問題にしたようです。結局、労働許可書なしでは雇えないということになったようで、喜びもつかの間、私はあえなくクビ。
良いことは長く続かないとは言え、あまりにも短か過ぎはしないでしょうか?雇ってくれた彼が申し訳なさそうにしてくれたことがせめてもの慰めです。
生活するためのお金が無い、、なんて生まれて初めてです。しかも言葉も良く通じない見知らぬ土地です。
インド中東、そしてアフリカを長い間旅してきたなんて、、、この問題の前にはなんの意味もありません。緊急事態です。
*チューリヒ Zurich メモ
スイス北部、チューリヒ湖岸のリマト川河口にある。スイス最大の商工業都市で、国内にとどまらずヨーロッパの金融と金取引の中心地である。おもな生産物は印刷材料、電気器具、電子機器、機械、織物・衣料、加工食品などである。人口は33万6821人(1998年)。
チューリヒは近代的な大都市だが、歴史的な建物や景観も多くのこっている。旧市街には、11〜13世紀にたてられ、宗教改革の指導者ツウィングリが伝道したというロマネスク様式の大聖堂、12世紀に建立された聖母教会、13世紀の聖ペーター教会、17世紀の市庁舎などがある。
また、アジア、アフリカ、アメリカ芸術を展示するリートベルク美術館、先史時代から20世紀までのスイス文化を展示したスイス国立博物館、自然史博物館などの見どころも多い。チューリヒ大学(1833年創立)、チューリヒ工科大学(1855)、音楽大学(1876)がある。
チューリヒは詩人で小説家のケラーや、教育改革者ペスタロッチの生誕地である。20世紀文学を代表するアイルランド出身の小説家ジョイスは、ここに埋葬されている。
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