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ヨーロッパ旅行記
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。
17.3度目のヨーロッパ
ロンドンでバイク探し
18.バイク旅行
初夏のスカンジナビア
19.ワサンタとの再会
20.ポルトガルからトルコへ
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仕事は皿洗い
主な仕事は皿洗いです。毎日大量の食器となべ釜を洗います。また男女のトイレ掃除や週に一度のフロアー大掃除も私たちの仕事です。特にクリスマスパーティーなどの催し物があるときは大いに力を発揮しました。
持ち場の仲間は有色人種ばかりです。お互い文化も習慣も違う者同士、時にぶつかることもありましたが、そこは同年代の者同士、ワーワー言いながらのとても楽しい毎日でした。
仕事は皿洗い
仕事はキャンティーンから始まります。4人用のテーブルが10個ほどあります。キャンティーンには従業員用にいつも美味しいコーヒーが入れてあります。まずコーヒーを飲みながら挨拶を交わし、冗談を言い合います。コックたちも一緒ですが、彼らとはあまり言葉を交わすことはありません。彼らドイツ人からは、よそ者といった風に見られていたのでしょうか。また、英語を話すコックが少なかったことも理由の一つかもしれません。ただ、お菓子を作っている若いコックだけは、時々食卓を一緒にします。どうもテレサに気があるようでした。理由はともかくも、おかげで時々パイを焼いたからと、少しお裾わけしてもらうようになりました。
洗い場の仕事のメインは、ウエイターや1階からエレベーターが運んでくる食器を、大型の自動食器洗い機に入れることと、洗いあがった食器をトレイに入れることです。それにコックが使ったなべ釜を洗うのも仕事です。また時々客がいなくなった後、残業でフロアーの掃除も言いつけられます。 洗い場係りはほとんど暇なしですが、普段はそれほど忙しくはありません。ただ、食器がまとめて運ばれてくるため、その時だけは洗い場が戦場になります。食器は置き場も無いほど山のように重ねられます。時にそれが崩れてけたたましい音とともに悲惨なことが起きたりもします。洗う前の食器の扱いと洗いあがったものの処理で、その時だけはもう息継ぐ暇もありません。
洗い場の仲間はあわてない
ところがアケティも含めて他の連中は、そんな状況をあまり気にする風でもありません。時々急に動きが早くなり、オッ がんばってるな、、なんて思わせることもありますが、いわれなければ少々のことで急いだりはしません。まあ、それが彼らのやりかたなのだし、せせこましいのが日本人かとも思いましたが、正直そんな達観しているような状況ではなかったのです。
そんなときはスチュワードが見に来ます。立場上あまり大きな声は立てませんが、壊れた食器の破片を目ざとく見つけては、「掃除しておけよ」と一言言うことを怠りません。私たちを監督し、指示するのが彼の仕事ですから。
その後、私は食器の集中を避けるために、運ばれてくるの待つのではなく、こちらから定期的に汚れた食器を回収してきてすこしづつ洗うことにしました。その結果あの忙しさからは開放されました。少しの手間を惜しまなければ解決できるのです。でもそんなことを仲間に話しても、「そうだね」とはいうけれども、その後に「でもどうでもいいよね」という言葉が聞こえてきそうでした。
もちろん、たまに暇な時間もあります。手が空くとアケティはじっとしていられずその辺を一回りしてきます。ユーゴのおばちゃんとエッチな話をしたり、フィンランドから来たウエイトレスをからかってはいつも楽しそうでした。
スチュワードは口うるさい。
パキスタン人の彼は化学専攻で、これからドイツで勉強するのだそうです。お国には奥さんがいて暫く会えないとのことで寂しがっていました。若い者の中では唯一の既婚者で、それだけに、みんなに対して結婚や夫婦生活の指南役といったところでした。他の連中はいつも嬉々として聞き入ってものです。
油を売っていると、そこへ新米スチュワードがやってきます。30歳前後といったところでしょうか。かなり張り切っていて、そんな私たちを見つけると、手をたたきながら派手な身振りを交えて 「はーい、はいはい!!そこのお前ら、何をやっているんだ?ほらこのごみは何だ、ここも汚れているぞ。ここを何しろあそこをどうしろ、、、。」と始まります。どのように指導されたのかわかりませんが、甘く見られないようにと、我々有色人種、特に黒人に対して高飛車にでているようです。
何度もあんまりうるさいので、一度私が言い返したことがあります。びっくりして戻って行ったかと思うと、こんどは上司を連れてまたやってきました。上司のフンメルは人格者です。話をしたらわかってくれました。それ以後彼も少しおとなしくなったようです。
なべ底の残り物はグラタン
なべやフライパン、ボウルなどの調理器を洗うのも私たちの仕事です。次から次と使いまわすのでしょう、大型調理器だけに大きなシンクもすぐいっぱいになります。
ここで私は生まれて初めてある料理を知ることになります。当然のことながら、調理器の底には様々なものの残りが付着しています。特に最初のころ食べ物に飢えていた私は、その残り物を無視できず、片っ端からなめてみたものでした。残り物と言っても結構な量です。
その中で大好物になったものがあります。白っぽいクリーミーなシチュウにマッシュルームが沢山入ったものです。初めての味でしたが、その美味しさにびっくりしてしまいました。他のものはすぐ飽きてしまいましたが、それだけはいつもとても楽しみでした。調理器洗いは率先して行ったのはいうまでもありません。そして洗い場に入るとすぐ、今日は無いかな―、、?とまず一通りチェックしたものです。
そう、それはグラタンだったのです。それ以前に食べたことは無く名前も知らず、そのときただ夢中で食べていました。田舎者の私がそれがグラタンというものであることを知ったのは、帰国して結婚して暫くしてからでした。妻が作ってくれたのです。そのとき、初めてのはずなのに何か懐かしい味がしました、、、ん?それが何故かに気づいたとき、何か熱いものがこみ上げてきました。なべ底をスプーンでさらっていたのはその7年前のことでした。
大卒でないと、量子論がわからない。
仲間には学者志望が2人もいました。パキスタン人のゲラニとインド人のアラシッドです。それぞれ化学と物理を先行したとのことです。きっとお国では将来を嘱望されたエリートなのでしょう。私も物理が大好きです。特に相対論と量子論が導き出す不思議な結論に鳥肌が立つほど魅惑されている一人です。何時か学者の講義を聞いてみたいと思っていました。そこで一度彼らにそんな話をしてみたことがありました。何か面白いことが聞けるかもしれないと期待したのです。
ところが返ってきたのは、まるで納得しがたい話でした。さらに質問と意見を投げると、分かるように説明してくれるどころか「君は、大学で勉強していないから理解できないんだ。」ときました。それも二人がかりで。それで私はカチンと来てしまい、その後お互い熱くなって議論の収拾がつかなくなってしまった次第です。キッチンの真ん中で起きていたことだけにとうとうスチュワードに見つかってしまい、どやされてやっと終了ということになりました。
その後、私は物理学とはあまり関係の無い仕事をすることになりますが、もう一度彼らと議論してみたいと思います。いや、議論、などと恐れ多いです。偉くなった彼らの講義を拝聴したいと思います。どんなにか楽しいことでしょう。
インドカレーを作ってあげるよ。
というようなことがあってもそこは同僚、週末には時々アラシッドのアパートに遊びに行きました。目的はカレーです。アラシッドに、インドで食べたあの本場の美味しいカレーをまた食べたいといったら、作ってやるから来いよ。ということになったのです。
彼のアパートは町の中心部からだいぶ離れたところにあります。電車で30分ほどもかかる静かな郊外でした。冬枯れの木立が美しい閑静な住宅街の一角に、小規模な集合住宅が並んでいました。
彼の友人数人も遊びに来ていて、すでにカレーは大方出来上がっていました。部屋の中では懐かしいヒンズー語が飛び交っています。そしてあのスパイシーで香ばしい懐かしい香りが漂っています。ナンの代わりにパンだったのが少し残念ですが、久しぶりのカレーです。しかも本場もんの。文句など言えません。
ワーワー言いながらにぎやかな食事でした。カレーは男が作ったものとは思えないほどのできです。私のためというよりも、日本人がラーメンでも作るように、彼らはアパートでは毎日のようにカレーを作っているとのことです。スパイスの効いた食事で育った彼らには、薄味のヨーロッパの食事が物足りない事はよく理解できます。
インド旅行以来、“インド”のカレー(日本で食べるカレーとは大分違う)は私の大好物です。こんな美味しいものもそう有りません。インドの歴史が凝縮されたような深みのある味わいです。その日は動けなくなるまでお腹いっぱい頂きました。
冬の良く晴れた日シュタットガルトの郊外で、思いがけず本場のインドに出会うことができました。
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