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ヨーロッパ旅行記

1.初めてのヨーロッパ

2.仕事探し

3.ハンブルグ

4.針金細工売り

5.逮捕と拘留

6.ハノーファの恋

7.学生食堂

8.行商と晩秋の北ドイツ

9.極寒のクリスマス商戦

10、お別れ
11.2度目のヨーロッパ
12.1年ぶりの北ドイツ

13.メーベンピックレストラン

14.皿洗いと職場の仲間
15.テレサとヘレン

16.ホテルマンへの誘い
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。

18.3度目のヨーロッパ
 ロンドンでバイク探し

19.バイク旅行
 初夏のスカンジナビア

20.ワサンタとの再会

極寒のクリスマス商戦

厳寒の北ヨーロッパの街々にクリスマスソングが聞こえるようになりました。
華やかな雰囲気を感じつつ、行商の日々が続いていました。

クリスマスの飾り付け

 12月にはいると何とはなしに町が明るくなります。寒さは一段と厳しくなりますが、そろそろ人はみな寒さにも慣れてきます。私も何とか暖かいハーフコートが着られる身分になっていました。いや、もちろん、ここ北ヨーロッパの冬は特に、身分に関係なしに防寒具なしではいられません。ましてや、私は露天商です。何時間も寒風の中で立っていられるだけの装備と体力が必要です。
 そう、町が明るくなったのは、クリスマスに向けての飾り付けの性でした。人々はこぞって、家々の外壁や小さな生垣から街路樹まで、思い思いの飾り付けをします。店の中もクリスマス一色です。軽快な、あるいは時にしっとりとしたクリスマスソングも町中で聴かれるようになりました。夜はイルミネーションがとてもきれいです。葉を落とした枝が光で縁取られ、そばのショウウインドウに反射しています。イルミネーションをあまり見たことの無い私のような田舎者には、それはそれは都会的でとても洗練されたものに感じられたものです。

日本でも最近は都会だけでなく田舎でも綺麗な飾りつけが目に付くようになりました。でも何かが、かなり違うように思います。建物や町並みそして行きかう人々が作る雰囲気でしょうか。それとも私の安っぽい先入観でしょうか。また単に遠い思い出が美化されただけなのかも知れませんが、ヨーロッパはやはり日本ではないということかと思います。
そんな光を見、クリスマスソングを聞くと、まるで縁も関係も無い、そして先の見通しも何も無い私でも、何かほんわかとした豊かな楽しい気持ちになるから不思議です。少しばかり厳しい状況下にある私のような者にとっては、とてもありがたいことですね。
思うのですが。もしキリストが8月に生まれていたら、否北半球の冬以外の時期に生まれていたら、、、。この12月はきっと、寒くて暗いだけの長く絶望的な季節になっていたのではないでしょうか。彼が12月の末に生まれたおかげで、ここヨーロッパの人々は何とか冬を乗り越えてこられたのではないでしょうか。本当に良かったですね、、?

北ドイツの町

 西ヨーロッパは暖流のメキシコ湾流の性で、冬は北部よりも内陸部のほうが気温が下がります。アルプスに近いミュンヘンや中部のフランクフルトなどからは、そろそろ雪の便りが届くようになります。12月の2週目にはすでに、ハノーファーへの途中に見える丘陵地帯も線路の両側が真っ白になっていました。
 12月に入るといくぶん売れ行きがよくなってきました。同業のイタリア人から、クリスマスの前が最も売れると聞いていましたので、クリスマスをどこで売るかが当時の最大の課題でした。ハンブルグが最も魅力的なのですが、万が一にも警察につかまって没収されたら大変です。
最大のチャンスをものにするためには、やはり、周辺の小さくとも安全で確実なところを狙うことにしました。クリスマスイブまでに最も売れそうなところを探し出し、絞り込む作業が続きました。町から村へ日々移動し続け、ハンブルグとデンマーク国境までにある主な町はほとんど行きつくしたように思います。
 金曜日はハンブルグに戻り、同業者から他の地域の情報を仕入れます。彼らも思い思いに最高の場所を探しているようです。ハンブルグでやるという者もいました。私は早い段階である町に絞っていました。シュレスビッヒというハンブルグから1時間ほどのところにある町です。湖と町が調和したとても美しい町です。
 鉄道の駅から町の中心部まで1Kmほどあります。町までの道は途中湖のそばを通ります。寒くなってからは池には沢山の白鳥が目につくようになりました。暖かそうな服を着た小さな子供が両親の前で白鳥にえさをやっている姿は妙に印象的です。
 町はこじんまりとしていますがしっとりとした落ち着きが感じられます。夏場は湖と木立が美しいところですが、冬は灰色の世界の中にすべてがひっそりしています。ただ歩行者専用のメインストリートは、他の町よりも元気なお年寄りが目立つような気がします。
 ドイツにはどこにでも立ち飲みのコーヒー屋さんがあります。一杯50円ほどで飲めますので、コーヒー好きの私にはありがたい存在でした。そのころはもちろん、安いという理由でそこを利用していました。でも先日、仕事で行った時に、懐かしくて入ってみたのですが、なんの、とても美味しいコーヒーであったことがわかりました。あなたも良かったら是非試してみてください。チョコレートも何種類かそろえてあり、コーヒーとの微妙なコンビネーションを味わえます。
シュレスビッヒではそれまで何度か店を開いてきましたが、小さな町の割には売れ行きもまあまあ、何より人々がみな穏やかなこと、そして誰も競合が現れそうに無いこと、などが理由でそこに決めました。

吹雪の夜

12月も半ばを過ぎると、北ドイツはさすがに冷え込みが厳しくなってきます。それにつれ夜を越すのがややつらくなってきたのです。
そんなある日、ある町からハンブルグへ戻る予定だったのですが、売れ行きが少し良かったので翌日もその町で店を出すことにしました。寝袋は無かったのですが、夜は何とか駅で越せるだろうと考えていました。
ところが、その日は急激に冷え込み夕方遅くから雪が降り出しました。風も強くなって夜はものすごい吹雪になりました。何より気温が予想以上に下がったのです。体感気温はー20度といったところです。駅舎の中とはいえ、寒くて寒くてとても寝られたものではありません。風と雪は田舎の小さい駅の待合室の中まで容赦なく吹き込みます。
じっとしていることに耐えられず、近くで1軒だけ開いていたスナックに駆け込みました。中は天国のような暖かさです。60前後のやせたおばさんが女将のようです。客は2人、太った男たちがぐでんぐでんになっていました。時折思い出したように、ジョッキをかざして大きながなり声を張り上げ歌います。
ソーセージとポンフリ(フライドポテト)とコーヒーでできるだけ粘りました。気の弱い私は、あまり長時間いても変に思われるのではと気を回し、何度か出たり入ったりしました。
1時過ぎ、最後の客が帰ると同時に、とうとうその店も閉まりました。私は吹雪の中に投げ出されました。行くところは?といっても、床の半分が白くなった駅の待合室しかありません。やはり寝られるわけも無く、それから数時間はひたすら寒さに耐え続けました。辛いの何のって、、イヤーッ、、辛い夜でした。本当にまいりました。結局、最後まで耐えられず、始発の電車でハンブルグに帰ってきてしまいました。情けないことですが、冬の北ヨーロッパを少し甘く見ていたようでした。

かじかんだ手

その年のクリスマスイブ、12月24日は日曜日でした。日曜は例外なしに休みなので、買い物は23日までに済ませなければなりません。23日はどこも大変な人出だったと思われます。シュレスビッヒもそうでした。
その日はいつものように朝からどんよりとした曇り空でした。朝の気温は−13度くらい。何時雪が降り出してもおかしくありません。強くはありませんが、身を切るように冷たい風が吹いていました。
人々は暖かそうな身なりで大きな荷物を手に持って歩いています。他の店の邪魔にならないようにと、商店街のはずれに店を広げました。開店は9時ごろです。まもなく客が立ち止まり始めました。最初ポツリポツリでしたが、買い物客の数量に比例するように、私の店の客の数も増えていきました。小さな店を数人が囲むとその周りにさらに人が寄り、すぐ黒山の人だかりができ、それにつられてさらに人が増えるといった具合です。
次から次に注文が続きました。一人で複数個買ってくれる人が何人もいます。10時ごろから、ほぼ売り切れた12時ごろまで、まさに息を継ぐこともできないほどの忙しさになりました。
大変だったのは、お金がうまくつかめなくなってしまったことでした。素手でないと商品がうまくつかめないため、手袋はつけていませんでした。手を温める暇が全く無く、何時間も出しっぱなしだったので指は完全にかじかんでしまい、動かなくなってしまったのです。お札やつり銭は、親指と動かない人指し指の第2関節で掴むしかなく、ポケットにしまうのにも苦労ですし、ポケットに丸くなったまま押し込められたお札から、1枚だけ抜き出すことは大変なことでした。
予想以上の売れ行きは、もちろんとても嬉しいことなのですが、なんせ手が凍りつきそうなほど痛くて、待っている客にもにも応えなくてはいけないしで、嬉しさを感じる余裕は全くありませんでした。とにかく次から次と注文をさばいていくことだけで精一杯だったのです。
12時でほぼ売り切れました。また同時に商店街も店じまいです。それまでごった返していた買い物客は、潮が引くようにスーッといなくなってしまいました。私も手早く店を閉めてかじかんだ手を早く暖めるべく駅へ急ぎました。途中、街中にある温度表示板をみました。そのとき、12時過ぎの気温はなんと氷点下7℃でした。
駅の中はやはり天国でした。まずヒーターのそばでかじかんだ手を温めました。少し頑張り過ぎたようで、なかなか感覚が戻りません。身体も芯から冷えてしまったようでした。
それでも、ハンブルグ行きの列車に乗り、他に誰もいないコンパートメントの中で、両サイドのポケットの中のお札を数え始めたころ、やっと喜びがこみ上げてきました。紙くずのようにくちゃくちゃになった紙幣を一枚ずつ、まだ感覚麻痺の残る指でしわを伸ばしながら数えました。わずか3時間で1000マルクあまりの売り上げです。
紙幣をきれいにそろえ束ねてハーフコートのポケットに入れました。そして初めて流れる車窓の風景に目をやりました。そこには見慣れた白い風景がありました。時にどうなるかわからなかったアフリカ旅行が実現することを、やっと確信できた瞬間でした。

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