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ヨーロッパ旅行記
17.3度目のヨーロッパ
ロンドンでバイク探し
18.バイク旅行
初夏のスカンジナビア
19.ワサンタとの再会
20.ポルトガルからトルコへ
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テレサとヘレン
アメリカ人姉妹は人気者
仕事を初めて半月ほどしてふと自分の手に気がつきました。やせて日焼けしてしわだらけだった手の甲には、潤いと張りが戻っていました。規則的な生活とお腹いっぱいの食事のおかげで、やっともとの身体に戻ったようです。全般的な体調もすこぶる良好です。毎日の生活に充実感を感じられるようになりました。栄養不足に加えて野宿の連続の毎日が如何に厳しかったがを改めて感じました。懐かしくも少し辛かった旅路にしばし思いをはせたものです。
キャンティーンはいわばたまり場です、私たち若い外国人従業員のコミュニケーションの場です。
昼や夜の食事タイムはとてもにぎやかになります。みんな交代で休んでいるので、全員がそろうことはあまりありませんが、日中違う職場にいる人たちが会える唯一の場所です。サラダもソーセージもコーヒーも食べ放題飲み放題です。特に若い短期外国人労働者は元気が良く、毎日ワーワー言っては、おそらく現地の方の顰蹙を買っていたと思います。
キャンティーンでの集まりの中心はテレサとヘレンです。テレサは19歳、大柄で気持ちの強い典型的なアメリカ女性です。ヘレンは小柄で華奢で育ちのよいお嬢さんといったところです。タイプの違う二人の共通点はその美しさと知性です。その魅力に魅かれて男たちはいつもその周りに集まってきます。わざわざ休憩時間を彼女らに合わせる者もいました。
話題は様々ですが、そこは文化も宗教も全く違う世界中の国々からの若者です。さらに、人一倍外国というものを強く意識した者ばかりです。若いだけにどうしても話は男と女のことになりがちです。もちろん下ネタも多くなります。ただそこは、決して容易ではない先進国での生活に身をおく彼らです。将来への夢や不安、南北問題や宗教など結構真剣で差し迫った話題も少なくありません。
ともあれ、休憩時間や食事時にキャンティーンに行くと、必ず誰かがいて、話し相手がいます。みんないつもいい仲間でした。そこは、志高くも各々不安を抱えた若者たちが憩える、数少ない場所のひとつでした。
NewsWeekが読めたアメリカンライブラリー
彼女ら姉妹はその一月後にアフリカに向けて経つことになっていました。ザイールのジャングルで宣教師をしている叔父さんに会いに行くのが一つの目的のようです。その叔父さんがいるという地名を聞いて驚きました。ひょっとすると、半年ほど前、軒下さえも貸してもらえなかったいやな教会があったところかもしれないのです。教会はいくつもあるので、あの教会でないとは思いますが。
彼女らにそんなことは言えませんでしたが、私がアフリカ旅行を終えたばかりであること、その土地を通ったことがあることを伝えました。そんな共通の関心事があることから、テレサとはその後良く話すようになりました。シフトが同じある日、仕事が終った後に、彼女に誘われるまま近くのアメリカンライブラリーに行きました。
そこには久しぶりに感じる、静かで知的な空間がありました。もちろん回りは英語の書物ばかり。一緒に来たのはいいのですが、最初手に取る気にもなれません。それまで私は英語の書物を読むといったことはほとんどありませんでしたが、そこでたまたま手に取ったNews
Weekが意外に読めることに驚きました。特に関心のある記事は、理解できない単語がたくさんあっても、構わずどんどん読み進めると意外にも、結構楽しめることに気がつたのです。何より、それまで全く情報源を持たなかった私にとって、その内容はどれも新鮮で興味深いものばかりでした。NewsWeekが提供するそんな情報が、また彼女らとの会話をより楽しいものにしてくれました。
彼女はアフリカへの夢を膨らませているようでした。話題の中心はアフリカのことです。関連記事を見つけては意見を求められました。ついこの間まで旅行していたところですから、話すことには事欠きません。話していると懐かしくなり、あんなに辛かったのにまた行きたくなります。彼女らと一緒に行けないまでも、しばし一緒に遙かな夢に浸ったものでした。
そんな時間を何度かすごすうちに、そこがすっかり気に入りました。その後、彼女らがシュタットガルトを去った後も、時間があるときは一人でそこで時間を過ごすようになりました。とにかく活字に飢えていたのかも知れません。そこでかなりの量の英文に接しました。シュタットガルトでの3ヶ月間は私の英語の上達に大いに貢献したと思います。
彼女らはアフリカへ
セイロン人のワサンタはヘレンに夢中でした。彼とは夜ベッドに横になったあとも毎晩よく話しました。話題はやはり男女のこと。国(セイロン)に残してきた彼女のこと、月夜の浜辺での初体験のこと、そして今ヘレンのことです。でも彼も自分の置かれた状況をよくわきまえているようでした。これからの貧乏学生生活をおもえば、今そんなことをしている場合ではないことを理解していました。1年前のハノーファーを思い、私も少しばかり胸が苦しくなったものです。天井がやけに高く暗い部屋のベッドのなかで彼は毎晩じっと耐えていたのでしょうか。
発展途上国からやってくる彼らは、国ではそれなりに豊かな家庭の出が多いのですが、それでも物価が何倍もする先進国では生活が大変です。一見ひょうきんなところがあり、楽天家かと思いきや、結構まじめに考えていることに感心しました。ヘレンへのどうしようもない切ない恋心はよくわかりますが、今は耐えるしかないのかもしれません。彼女らの出発を目前にしてひどく落胆した様子に慰める言葉もありませんでした。
私が仕事を始めて1ヵ月後、12月11日姉妹は飛行機が出るベルリンへ向けて発ちました。1か月はとても短く、気のあったテレサとはもっと一緒にいたかったのですがしょうがありません。こんなところで会えただけでも儲けものというものです。彼女らのアフリカの旅が楽しいものであることを祈るだけでした。
どうやら彼女らがいなくなって寂しいのは私やワサンタだけではないようです。みんながそうでした。最もショックが大きかったワサンタで、その後あの陽気さがすっかり消えてしまい、口数がめっきり減って暫く元気がありませんでした。
アケティの彼女はチャーミング
その一方で、いつも陽気で元気がいいのがガーナ人のアケティです。まもなく、時々女の子を泊めるようになりました。同じ部屋の中で、彼のベッドの中に女の子がいて、そこでごそごそやられてはとても眠れたものではありません。文句を言うと。「ヘイ、メ−ン。俺はアフリカから来たんだ。ドイツの冬は寒さがこたえるんだよ。一人じゃ寒くて眠れやしない。そうかっかするなよ」てな具合です。
暫くするとまた違う女の子を連れてきます。どの女の子もみな可愛い子ばかりです。どうやったらそんなことができるのか、いや、正直、そのときばかりは彼を羨みました。
アケティとも良く話しました。深夜の1時ごろアパートに戻ると、まず暗いロビーのソファーにかけて話します。父親には何人かの奥さんがいて、彼はその十数人の異母兄弟の末の方だそうです。兄弟が多い性か父親と話した記憶はあまり無いとのこと。奥さんを何人も持った父親はきっと、経済的に相当力のある人に違いありません。彼の話は、そんなお国のことから始まって、アフリカがいかに遅れているか、、とたいがい南北問題になります。
それから部屋に入り、ベッドに入ってからも、声を落として政治や経済の話まですることがありました。下のほうは節度がありませんが、留学しよういう意識の高い人間だけあってある面では良く勉強していて、国際的な常識については私などより何倍も知識がありしっかりした考えの持ち主でした。そんなわけで2ndシフトの日は寝るのはいつも3時を過ぎていました。
イスラム教徒、信心深さも人それぞれ
テレサとへレンがいなくなった後、少し静かになったキャンティーンでしたが、またすぐにぎやかさがもどりました。今度はスエーデン人の女の子が中心でした。あい変わらずの話題です。もちろん宗教や国際問題についても含めてという意味です。彼らの名誉のために。
宗教についての話には無神論者の私としては正直ついていけませんが、同じイスラム教徒の間でも、まじめな者からいい加減な者まで様々なようです。イスラム教徒は誰しもが敬虔な信者なのかと思いきや、豚肉を食ったの食わないの、お祈りを何回したとかしないとか、といったような言い合いはいつものことでした。
パキスタンとモロッコなどでは、地理的な距離がある分、考え方も違いがあるのでしょうか。とはいっても、そこで「そんなこと、どっちでもいいじゃないか。」と思っても、彼らに向かってそれを声に出してはいけません。2人を敵に回すことになります。私たち日本人が考えているよりはるかに強く、彼らは宗教と結びついています。彼らの人格を汚すことにもなるので、神様の存在を否定するような発言はご法度ですよ。特にイスラム教徒に対しては。
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