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北米滞在記
1、アメリカの入国ビザ
2、モントリオールへ('74/3-'74/8)
3、仕事は飲食関係
4、ハードワークは眠い
5、中華レストラン
6、ママと移住者のバイタリティー
7、マウントロイヤルとサイクリング
8、南米への旅立ち
9、ニューヨーク へ(('75/11-'76/6)
10、仕事は日本レストランで
11、お客はガッツ石松
12、バスボーイとスチュワーデス
13、車の運転免許
14、ありがとうニューヨーク |
カナダのモントリオールに、そしてその後の南米旅行を挟んで、
ニューヨークに、各々半年ほど滞在したことがあります。
移民局による不法就労の摘発に怯えながらのハードーワークの日々でしたが、現地の人々や仲間との触れ合いの中で、北米の、おおらかで
エネルギッシュな空気に触れることができました。
冬から夏にかけて、北米の大都会で過した日々もまた、
忘れられないものとなりました。
モントリオールにて('74/3-'74/8)
シュツットガルトでのバイトの後、入国ビザが取れないためアメリカ行きを断念してやむなく渡ったカナダはモントリオール。
3月、着いた日、最高気温は氷点下。街はまだ分厚い氷に覆われていました。初めての土地。知人も何の情報も無く、先のことを考えるととても心細かったものです。
それから新緑が萌える夏まで、ギリシャ系や中華系レストランでのハードワークの日々が続きました。
南米旅行を夢見て、資金稼ぎだけが目的で行った町でしたが、そこにも思いがけない出会いがありました。
成功を夢見てやってきた移民の方々が創りだすおおらかでエネルギッシュな風が流れ、全てが新鮮で、出会った人々も皆いい人ばかりで、ハードワークの中にもとても楽しい時間を過すことができました。
特に、まるで家族のように接して頂いた台湾移民の一家と過した日々は忘れられません。
季節とともにその装いを変えていったマウントロイヤルと、そこからのセントローレンス川と街の眺めとともに、それは大切な思い出になりました。
・移動ルート : ロンドン〜モントリオール〜キングストン(ジャマイカ)
ニューヨークにて('75/11-'76/6)
長い南米旅行を終えた後、2度目の中近東・インド旅行の資金を稼ぐためにニューヨークで半年ほどアルバイトをしました。
入国ビザを取るのが難しく、やっとの思いで入国したアメリカでしたが、そこにはまた新しい感動がありました。
最初の頃は、割りの良い仕事を求めて勤め先を転々としました。吹雪の中、仕事を求めてダウンタウンからセントラルパークまで歩いたこともあります。
日本レストランでの皿洗いやウエイターが主な仕事でしたが、長い間一人で旅行してきた性でしょうか、仲間と一緒に仕事することがとても楽しく感じられたものです。
宿はタイムズスクエアーから1ブロック離れた一角にある古びた小さなホテルでした。
宿には南米帰りの日本人旅行者が沢山いました。みんな心の半分を旅先に残してきてしまった人たちで、よく集まっては南米の話で盛り上がりました。
そこで出会った女性との甘く切ない体験を消化しきれないでいる向きが、何故か多かったように思います。
晩秋から冬、そして初夏にかけて摩天楼の下で過した日々は忘れ難く、一緒に仕事をした仲間や今は無き(9.11で崩落)ワールドトレードセンターから見下ろしたマンハッタンやハドソン川の眺め、そして新緑のセントラルパークとともに懐かしい思い出でになりました。
・移動ルート : メキシコシティー 〜 アトランタ 〜 ニューヨーク 〜 チューリッヒ
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