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ヨーロッパ旅行記

1.初めてのヨーロッパ

2.仕事探し

3.ハンブルグ

4.針金細工売り

5.逮捕と拘留

6.ハノーファの恋

7.学生食堂

8.行商と晩秋の北ドイツ

9.極寒のクリスマス商戦


10.お別れ
11.2度目のヨーロッパ
12.1年ぶりの北ドイツ

13.メーベンピックレストラン
14.皿洗いと職場の仲間
15.テレサとヘレン

16.ホテルマンへの誘い
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。
18.3度目のヨーロッパ
 ロンドンでバイク探し

19.バイク旅行
 初夏のスカンジナビア

20.ワサンタとの再会

21.ポルトガルからトルコへ 

学生食堂

夏から秋へドイツも季節が移ります。街はさらにしっとりとした趣を増します。そんな中、行商が続いていました。

レーパーバン,歓楽街

 8月の半ばから9月の末ごろまで、雨の多い天気が続きますが、10月に入ると天気の良い日が続くようになります。気温が下がり、木の葉が急に色づき始めます。行商でおとづれる北ドイツの町や村はもちろん、ハンブルグのユースホステル周辺にも秋がきました。
 このころ、土曜の夜は商売上の都合から、レーパーバンの裏通りにある安ホテルですごしていました。ここで少しザンクトパウリ地区のレーパーバン通りについて、私が見たことをお伝えしましょう。
 
 世界的に有名な歓楽街とのことです(他を知りませんので、私には比較ができません)。アダルト向けのショウをやっている店や、ルーレットなどの賭博上が軒を連ねます。その間に、レストランはもちろんですが、ハンバーグやソーセージにドイツ人好みの酢の物のサンドイッチの店、最近ではキャバブ屋も沢山あります。世界中からの観光客や貨物船の船員たちで人通りは夜遅くまで絶えません。 公営の慰安所(?)もいくつかあります。その名もエロスセンターです。薄暗い地下室のようなところに入るや否や、沢山の厚化粧のお姉さんたちに取り囲まれてしまいます。レーパーバンの人通りを狙って針金細工を売るようになってからは、顔見知りになった人も何人かできて出勤前の彼女らと挨拶さえ交わすようになりました。彼女らは、れっきとした地方公務員だとか!、、?
 
 裏通りのさらに奥まった一角には、飾り窓というものがあります。飾り窓はオランダのアムステルダムが有名ですが、ここのはやや規模の小さなものだそうです。そこは狭い路地を挟んでショウウィンドウのようなものが並んでいます。窓の中には、けしてやせているとは言えないような人ばかりが、肌をあらわにしているのが見られます。 観光案内書などには記載されているようですが、わざわざ行くようなところではないような気がします。行ってみれば、なぜ私がそう言うのか良くわかります、、、、!?、、、、行くしかないですか?

北ドイツの秋

 ユースホステルからレーパーバンまで、いつも通る石畳の道がありました。両側から鬱蒼とした木立が道を覆っています。人通りが少なくひっそりしていました。なぜかとても気持ちが落ち着く道で、そこをゆっくり歩いては考え事をしたものでした。道からは西側には木立の間からエルベ川とハンブルグ港が見下ろせます。秋はそんな道にもやってきていました。ヨーロッパの秋に赤色はあまりありません。ほとんどが黄色で、その黄色がまさに金色に輝くのです。振り向けばユースホステルの周りの木立も秋の装いでした。
 行商している町や村も、最初に訪れた時とは、その雰囲気が少しづつ変わっていました。公園や並木の緑は濃い緑から明るい黄色へ変わりました。町全体が明るくなったような気がします。ドイツの町はヨーロッパの中でもとても落ち着きを感じさせますが、特に秋の北ドイツはまた一段と、そのしっとりとした趣が深みを増します。
このころは天気の良い日が多く、商売にはありがたいことです。ただそれほど売れるものでもなく、貯金の増え方は依然としてゆっくりでした。このままで良いのだろうかと、不安に思わないこともありませんでしたが、なぜか根拠もなしに何とかなると思っていたようです。
 先は見えないけれども、何とか生活ができ、貯金もわずかずづではあるけれども増えていました。何より、毎日が結構楽しいのです。特にガービーと知り合ってからは、日曜が待ち遠しくてしようがありませんでした。ガービーとのデートは毎週のように続いていました。ハノーファー10時着の列車でした。彼女は何時も先に来ていて改札口で待っていました。私を見つけると人ごみの中から背伸びして手を振っています。そのときの笑顔がとても素敵でした。それから、お決まりのコースです。町の中心を避けて静かな道をたどります。やがて正面に荘厳なラトハウスが見えてきます。
ラトハウスのテラスの階段を上り裏に回ると、池があります。池のほとりの道をとおり木立を抜けると、その先に大きなマッシュ湖が見えてきます。マッシュ湖岸沿いの道や森で長い時間をすごしました。会うたびに散歩道から見る森の木々が秋へと装いを変えていきました。それとともに彼女に対する私の気持ちも深くなっていったようです。

食事

 私はソーセージやチーズが大好きです。ヨーロッパに来てその種類の豊富さとおいしさに驚いてしまいました。特にドイツのソーセージは最高です。街中の屋台で売られている、フライドポテトと一緒に食べる熱々のソーセージも美味しいですし、スーパーに行けばそれこそ、目移りしてどれを選べばよいか迷ってしまうほどいろんな種類のソーセージがあります。沢山の種類をトライしましたが、どれもこれもそれなりにとても美味しくいただきました。
 
 また、パンも種類が豊富です。ドイツには実に様々なパンがあることは、パンに少しでも関心のあるあなたなら、私など以上にご存知かと思います。また、当時の日本と比べれば、ジャムの種類などもとても多かったように思います。スーパーで買っておいたソーセージやチーズとパン、ジャムとバターが何時も私のバッグに入っていました。おなかがすいたら、ところかまわずそれをつまむ、というのが基本的な食事スタイルです。時間を決めてご馳走を食べるといったことはあまりありませんでした。
 また地元のレストランなどでの食事は、私にとってはあまりに高価なために、残念ながら、その半年あまりの間にただの1度も経験はありません。最初の頃を除いて、レストランでの食事は考えたことさえもありませんでした。唯一、月に一度程度、サッポロで少しのおかずでご飯を何度もお代わりするぐらいでした。

メンザ 学生食堂

 ただ、暖かい料理をお腹いっぱい食べることは、実は少なくはなかったのです。一つはユースホステルでの昼食です。大きなゆでたソーセージと山のようなポテトが出ます。それほど安くはないのですが、とても貴重な食事でした。

 また、それ以上に強い見方だったのが、ハンブルグ大学のメンザ(学食)でした。ここは学生向けに格安の価格で昼食を提供しています。世界中から留学している様々な人種の学生がいますので、部外者の私がそこに並んでも全く目立たないので問題ありません。メニューはいくつか選択できるのですが、私がいただくのは何時もその中でも最も安いスープです。たったの1マルクで、御代わり自由です。栄養たっぷり、具たっぷりのスープの中に太いソーセージが1本入っていました。浅ましくも、ここぞとばかりにお腹いっぱいいただきました。満腹になると、日ごろの栄養不足を一気にとり戻せたような気がしたものでした。スープ以外のものをとったことが1度だけあります。それはカレーライスが出たときです。もうたまりませんでした。ソーセージがいくら好きだといっても、1日3食、しかも毎日ではさすがに飽きてしまいます。イヤーッ、カレーは本当に美味しかったです。5杯も御代わりしてしまいました。
 
ステンレスのボールにスープを入れてくれるのは、何時も小太りで気のよさそうなおばさんでした。そのうち私の様子が他の学生と違うことに気がついたようです。それでも、たまに行くと、「おっ、また来たね。」と大盛りスープにソーセージを2本もつけてくれました。行商に出るようになってからはご無沙汰するようになりましたが、ハンブルグにいるときには必ず1度は行くようにしていました。

大学生活

 ハンブルグ大学には当然ながら、日本からも留学生が来ていました。私たちは普段は彼らから無視されるだけなのですが、1度だけ苦言を言われたことがあります。私たちの食事時の振る舞いについてです。確かに、何度も平気でおかわりしたりすることは日本人として威厳や誇りを持った態度ではありません。彼らにしてみたら、同胞であることが恥ずかしくてしょうがなかったのでしょう。そのときは、「何だこいつ、かっこつけやがって。」ぐらいにしか思いませんでしたが、今は良く理解できます。本当に申し訳ございませんでした。心からお詫びいたします。

 ただ、ありがたいことに他の学生たちはあまり気にしませんでした。食堂の外には中庭を囲むようにして談話室があります。談話室は何時も学生たちでいっぱいです。同じテーブルを囲んで、中東紛争などの国際情勢から文化まで様々な会話が飛び交います。一度日本人ということで、太平洋戦争やアメリカとの関係などについて、意見を求められたこともあります。

 また、東洋を題材にした演劇を作成中なので、そのスタッフに入ってくれなどといった打診もありましたが、残念ながら、彼らと一緒にされるような状況にはありませんでした。でも、少なくともそこには、お腹いっぱいのスープだけではなく、日々の行商を忘れ、意識の高い同年代の者たちと触れ合える場がありました。ふっと、日本でも高校の同級生はみなこうして大学生活を送っているであろうことを思いました。私もこんな旅行などやめてこのままここで勉強できたらいいかも、、、などと考えなかったわけではありません、、、。翌日はまた、北の町の街角に立っていました。
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