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ヨーロッパ旅行記
14.皿洗いと職場の仲間
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。
18.3度目のヨーロッパ
ロンドンでバイク探し
19.バイク旅行
初夏のスカンジナビア
20.ワサンタとの再会
21.ポルトガルからトルコへ
ハンブルグ |
逮捕と拘留
許可証の無い外国人の物売りは、当然いずこの国でもご法度です。
その後何度か警察の手を煩わすことになります。
悪いこととはわかっていても、他に手も無くこの商売を止めるわけにはいきませんでした。
こじき部屋
ハンブルグには公営の宿があります。身寄りの無い日雇い労働者や、大勢いる外国人労働者用に作られたものです。宿代は、驚く無かれ、一泊50ペニヒ(およそ50円)です。いつも熱いお湯が出るシャワーつきですが、もちろん、但し書きもついています。
ベッドは金網だけの2段ベッド。それが2列に10個づつ20も並んだ広い部屋が3階建てになっています。その後南米で軍隊の駐屯地に泊めて貰ったことがありますが、全く同じようなつくりでした。起床は早朝5時。担当官が「5時だ。起きろー」と大きな声を上げながら、棒でベッドの金属支柱をたたきます。金属的な耳を劈くような音では、さすがにみなだるそうにしながらも起きざるを得ません。6時には強制的に追い出されます。再び入れるのは5時からです。ちゃんと仕事をしなさい、ということでしょうか。寝足りない者、やる気の無い者、二日酔いの者は近くの公園や、軒下で寝なおすことになります。
そこの利用者には、その日の稼ぎをすべて呑み代につぎ込んでいるような者もいます。運が悪いと、夜中にベッド上段からゲロやおしっこが落ちてきます。上段にしたいのですが、そこはすでに常連で予約済みです。夜遅く商売から帰ると、館内にはいつも、上から下からの排泄物で我慢できないほどの異臭が立ちこめていました。またあちこちからけたたましいいびきの饗宴が聞こえてきます。よって、私たちはそこをこじき部屋と呼んでいました。
さて、そうはいっても、そんな状況に文句を言ったり彼らを軽蔑したりする資格など、私にあろうはずもありません。こちらも負けじと仕事にかかります。異臭といびきの音を避けて、階段や廊下でパッチンパッチンとやったものです。寝るのはいつも夜半過ぎでした。なんといっても、たった50円で冷暖房が完備した部屋にいられて、熱い湯が出るシャワーが使えるのなら、不服などいえる道理がありません。日々の生活の中にはテレビはありませんしラジオも新聞もありません。もちろん夜遊びするほどのお金もありません。ひたすら針金士稼業に勤めました。次の旅行、2度目のアフリカ旅行への夢が唯一のささえでした。
逮捕と罰金
扱う製品は詐欺まがいに原価率が良いのですが、思うようにお金は増えませんでした。そう大量に売れるものではないことと、頻繁にあう取締でわずかな稼ぎの中から出て行く罰金の性です。労度許可証の無い者の労働はもちろんどこの国でも違法ですし、さらに路上で物を売る場合にもそれなりの許可が必要です。私にはそのどちらも無いのですから仕方がありません。
したがって、時々取締りにあいます。特に黒山の人だかりができて売れているような時に限って、客と一緒に警察官が現れます。商売は即時中止して、警察署まで連行されます。調書を取られ、製品を没収されたうえにかなりの罰金を課されます。そのたびにわずかな蓄えがガクッと減ります。さらに薄っぺらな財布を見ると本当に涙が出てしまいます。
一緒にやっているイタリア人などと協力して、見張りを立てたりしながらやりましたが、私服警官が多くあまり効果はありませんでした。客に囲まれたら何も見えないので、ただ祈るしかありません。すると突然客の間から、警察手帳ならぬ警察バッジがすっと出て、「ポリツァイシテーエン! 警察だ!!」,,と, あいなるアンバイです。その後ハンブルグでは5度ほど警察のお世話になりました。そのたびに罰金が増えて行き、やがてハンブルグでの商売は、全財産を賭けるような、とてもリスキーなものになってしまいました。かといって、もう沖中士には戻れませんし、労働許可が必要な工場等も見込みがありません。やむなくハンブルグの周辺の町に出て行くしかなくなったのです。
行商
まず大きなところから、ブレーメン、リューベック、キール、ハノーファーを試してみました。また、ハンブルグとそれらの町との間の町でも店を広げてみました。その後デンマーク国境までの間にある町や村も回りました。商売はまあまあでした。ハンブルグにしがみつく必要が無いことがわかって一安心でした。
何より、それらの町のチャーミングさが気に入りました。そこには大都会には無い、穏やかな雰囲気がありました。街や村はどこにも小川や運河があり、アヒルが泳ぐ池や湖のやさしい水辺があります。緑の多い家々はどれもしっとりとして美しく、人々のドイツ人気質も少し穏やかなように感じられました。
そんなことで、その後はハンブルグ周辺の町を行商するようになりました。月曜から金曜までは周辺の町を回り、週末は催し物などが無ければ、仕込みや材料の仕入れなどでハンブルグですごしました。実はこのころ、イタリア人だけでなく同業者の中に日本人も数人おりました。週末サッポロに集まった時、誰がどこで売れたのか、お互い探りあいをします。売れていそうだとなると、たまには一緒についていきます。もちろん、お互い相手に迷惑をかけないよう、遠慮しながら場所取りします。それぞれの町や村は小さいので、いい場所も限られてしまいます。日ごろ儲かっていればともかく、そんなところではやはりみな、独り占めしたくなるのです。みんな必死なのです。仕方がありませんね。
キール追放
キールはバルト海に向かった海の要衝です。海から20Kmもある深い入り江の奥にあります。周囲の丘の上からは、軍艦が何隻も停泊しているのが見えます。また、多くのレジャーボートも浮かんでいます。ここもまた独特の雰囲気のある美しい町です。
しかし、キールは無許可(違法)労働者にはなかなか厳しい町でした。最初に店を開いてまもなく、警察官のチェックを受けました。しょうがないのでその日はこれまでと、ユースホステルに引き上げたのですが、すでにユースホステルに連絡が入っておりました。どうやら、私はキールを追放されたようで、“そのような者は泊めるな”とのお達しがあったのだそうです。何もそこまでしなくとも良いのではと思いましたが、一度いったら譲らない厳格な彼らです。さっさとあきらめました。
バルト海の避暑地 トラフェミュンデ
リューベックの先、バルト海に面したトラフェミュンデは内外の観光客を集めるドイツ有数の避暑地です。海岸沿いには瀟洒な邸宅やホテルが立ち並びます。カジノもあるようです。8月のはじめから何度か店を出しました。
中心部のプロムナードに沿って、現地ドイツの若者もアルバイトをしています。私のようなペンダントを売るものもいますが、ギターやバイオリンを弾くもの、似顔絵を描くもの、民芸品売りなど、思い思いのネタで店が並びます。
プロムナードは避暑客でいっぱいです。みんな大人も子供も、清潔で涼しそうな服装をしています。特に真っ白な服に金髪と青い目の少女の姿は、同じ世界の人々とは思われないほど美しく感じられました。そんな時、着たきりの自分が彼らの目にどんな風に映っているのかなど考えたくもありませんね。
11時を過ぎるとさすがに人通りが少なくなります。店を出しているのも針金士だけになりました。さて、ねぐらを探さなければなりません。すぐ近くにある海岸の防波堤の下の砂の上でも良いのですが、前日雨が降ったのであきらめました。その夜は、昼間見つけておいた、町外れにある建築中の建物の中にしました。
横になると、まだ未完成の窓をとおして、ホテル街の窓の光が見えます。あの真っ白い服を着た女の子のすがた、物腰が思い出されました。
拘留と独房
ある日、ハンブルグの郊外で商売していて、また警察にお世話になってしまいました。物売り行為よりも、バッグの中の登山ナイフが気になったようです。旅行の必携品として何かと重宝するので持ち歩いていたものですが、大きな声で怒鳴るところから、かなりの不審を買ったようでした。
いつものように調書を取られあと、罰金が無い代わりに、案内されたのは出口ではなく奥の留置所でした。良く理解できないまま、警官に前後を挟まれながら奥のほうに連れて行かれました。通路は左右に複雑に曲がりくねり、さらに5段ぐらいの階段がいくつもあって、のぼり下りも繰り返します。まるで3Dの迷路です。部屋に入れられると、後ろで厚さ10Cmほどの扉がテレビドラマで聞いたのと同じ大きな音たてて閉められました。続いて鍵をかける乾いた音もやはり同じように響きました。窓が無く薄暗くひんやりしていたので、立ち去っていく警官に毛布をくれというと、何か大きな声を発しただけで、彼は立ち止まりもせず迷路を引き返していきました。
当然、初めての経験でしたが、いい経験だなんていっている場合ではありません。こんなときはやはり落ち込みます。「おれはいったい何をやっているんだろう、、、?」と。他の同年代の人たちは大学へあるいは就職と、ちゃんとした道を進んでいます。それに引き換え、金もたまらず先も全く見えないだけでなく、違法とは知りつつも、それを続けざるを得ない自分がとても情けなく思われました。
でも、何がどうであれ、ここまできた以上このままやるしかないことは明白です。うじうじ考えていても何にもならないことも確かでした。そんな状況では、がんばれば何とかなるさ、と自分を奮い立たせるしかありませんね。翌朝早く、まだ薄暗い町へ開放されました。警察の近くのパン屋の工房からもれる赤く暖かそうな光が目に入りました。急に空腹を感じその光に誘われていってみると、工房の入り口からいい香りがしてきました。その焼きたてのフランスパンのおいしかったことが忘れられません。見上げると、黒々とした建物の向こうに朝焼けが始まっていました。また、新しい1日が始まろうとしていました。
酔っ払いと非番の警官
ただ、ドイツ人だからといって、そう理屈だけで行動しているわけではありません。特にこじき部屋で会った人や日雇い人夫などは人情味を感じさせる人が多かったようです。それだけではなく、私の敵ともいえる警察官でさえ、本来は優しい人々なのだと教えられたことがあります。
ハンブルグの駅の連絡通路でのことです。いつものように店を広げているところへ、酔っ払いが絡んできました。無視しても声を荒げる、何か言おうものならさらに元気付く、といった調子でどうしたものか困っていました。そこへ通りがかった若い方が、その酔っ払いを追い払ってくれました。背が高くとてもハンサムな方です。お礼を言ってよく見ると、なんと先日お世話いただいたばかりの警察官ではありませんか。あわてて店じまいをしようとすると、彼は私を手で制止して言いました。「今日は非番だ」と。驚いているわたしに手を上げて、足早に立ち去ってしまいました。
ドイツ人も捨てたものではないと感心すると同時に、なんとなく楽しくなったことを覚えています。お気に入りの場所だったのですが、そこでの仕事はその日が最後になりました。
朝市
ハンブルグでは毎日曜日の朝、朝市が立ちます。案内書には必ず載るかなり有名な朝市です。魚介類からバナナなどの輸入生鮮食品だけではなく、小物電気製品からおもちゃ屋や、サンドイッチ屋まででて、まるでお祭りのようです。場所はザンクトパウリ地区の北はずれのあたりです。毎週沢山の人出です。特に真新しいものがあるわけではありませんが、日曜日の朝の風物詩として行ってみるのも面白いかと思います。
私も、安いものをと思い何度か、いや夏の間は毎週のようにいきました。結局特に何を買うわけではなく、好物の酢付けのニシンのサンドイッチを食べて帰ってくるだけでしたが、何も無い日曜日には唯一のアクセントでした。
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