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ヨーロッパ旅行記

1.初めてのヨーロッパ

2.仕事探し

3.ハンブルグ

4.針金細工売り

5.逮捕と拘留

6.ハノーファの恋

7.学生食堂

8.行商と晩秋の北ドイツ

9.極寒のクリスマス商戦


10、お別れ
11.2度目のヨーロッパ
12.1年ぶりの北ドイツ

13.メーベンピックレストラン
14.皿洗いと職場の仲間
15.テレサとヘレン

16.ホテルマンへの誘い
これ以後は北アメリカの後にお伝えします。

18.3度目のヨーロッパ
 ロンドンでバイク探し

19.バイク旅行
 初夏のスカンジナビア

20.ワサンタとの再会

21.ポルトガルからトルコへ

ハンブルグ

針金細工売り

何とか食べていくことはできるようになりましたが、港の仕事は毎日できるわけではなく、
1週間に3度ありつければ良いほうでした。
そんな先の見えない仕事は早々に見切りをつけ、針金細工を売り歩く日々が始まりました。

港の仕事

その後暫くは、 ほとんどが港の仕事でした。といっても仕事にありつけるのは、週3日がいいとこです。
船は世界中からやってきます。、、そう、国際港です。、、当たり前ですね、。
日本からの船には車や小型ラジオなどが積まれていました。アフリカなどからは、果物の缶詰などが届きます。果物の缶詰は仕事中食べ放題です。いかにも当然といった風でみんなが食べています。最初気がとがめましたが、私も勧められるままにいくつもいただきました。常連の中には、小型のラジオなども隠してうまく持ち出す者が居るようです。帰りには全員ボディーチェックを受けるのですが、袖の下が効いているのか、巧妙なのかわかりませんが、あまり意味が無いようです。

変わった船には冷凍船がありました。相手はカチンカチンに凍った冷凍の豚肉(?)です。これはかなり危険な相手です。まず、その寒さのために冷凍庫には10分と居られません。仕事は交代で行います。通常は暖かい上階で待機していて、仕事のときだけ階下の冷凍庫に降ります。すばやく仕事を済ませてはすぐ上階に戻って身体を温めます。
冷凍の肉はとても硬くて重く、油断すると手からすぐ滑り落ちます。滑り落ちるとそれは床を勢い良く滑り、隣の人に当たる危険がありました。肉のあちこちに付着した氷がナイフのように鋭くとがっているため、それが大怪我につながる可能性があったのです。作業者も、寒さでかたくなった身体では動きが鈍く、逃げるに逃げられません。

また、生ゴムも扱いが厄介でした。ゴムは1m立方ほどの大きさに固められた状態で、隙間無く船倉に積み込まれています。かなり重く1個百キログラム近くもあろうかと思われます。まず上段からおろさなければなりません。数人がかりで、一つ上の段から下に下ろします。すると、落ちた勢いでゴムはバウンドし、あちこちに転がります。丸みがかった巨大なさいころのようなもので、転がる方向は予測ができません。問題はその重量です。勢い良く弾んだゴムの衝撃を受けたら人間はひとたまりもないでしょう。それに当たらないよう、動きが落ち着くまでみんな遠巻きにして見守るしかありませんでした。

日々、どれもこれも、新しい体験でした。体力的にはきつい仕事ですが、とても新鮮で刺激的な体験でした。
しかし、残念ながら肝心の仕事自体は、毎日もらえるわけではありません。やはり新米は残り物しかもらえないのです。仕方がありません。港での仕事は2シフト制です。最初が7時から3時まで、次が3時から夜の10時までです。仕事がもらえたときは当然10時までやるようにしました。それでも、3日に1度です。そんな状態では何時次の旅行の資金ができるかわかりませんでした。
工場などにも何度も当たりましたが、やはり労働許可証がないとだめでした。

針金細工を売る

 こうなったら自分でやるしかありません。やむなく、町でよく見かけていた針金細工を売ることにしました。最初、イタリア人などから、できあがったものを卸してもらっていましたが、形は単純であり少し慣れれば自分でもできそうでした。何より同じことをやっても利益率が倍になります。
人通りの多い場所を狙って、店を開くのですが、最初は少しばかり勇気が要りました。自分が外国で、しかも路上で物売りをやるなんて、、、、考えたこともありませんでした。恥ずかしさをこらえて、初めて店を出すまでずいぶんと時間がかかったものです。

 ハンブルグは橋の多い街です。橋といっても大きな川にかかるようなものではなく、10mも無いような短いものが大半です。最初に選んだ場所はそんな人通りの多い橋の上でした。近くにカウフホーフという大型デパートがある、ハンブルグでも最も人通りの多い通りの一つです。

 たった一人で店を広げ、立ち上がると行き交う人々の視線を感じました。大人も子供もじろじろ見ていきます。いたたまれませんでした。と思うまもなく、そこに救いが入りました。なんと、、客です!! 驚いていてはいけませんね。
 手にとって“シェーン!(素敵、きれいといったような意味)おいくら?”ときました。“どれも10マルク(約千円)です。” “じゃあいただくわ。” そう、初めてのお客です。確かカール状の金髪が美しいご婦人でした。彼女のおかげで自信がつきました。何だ、、俺もやれるじゃないか、、と。そうして何とか最初の壁を越えることができたのです。そのご婦人に感謝です。

オリジナルのペンダン

 私の商品は主に、文字通り針金を使って作るハンドメイドのペンダントです。針金は銅線に銀メッキした長尺ものを1Kg単位で買ってきます。また、デパートでイミテーションの真珠や石のネックレスを仕入れます。道具は直径1Cmほどの丸棒と、ニッパーにペンチ、それにビロードの布だけです。
針金を丸棒にらせん状にきっちりと巻きつけて円形を作ります。その大小の円形を基本としてそれを1つずづ展開して最終的な形にします。最後にその円形の一つあるいは複数に、石やイミテーションの真珠などをつけて完成です。

 経験などあろうはずも無く、すべて見よう見まねではじめました。まぁ、、何とかなるもので、何とか買っていただけるものが作れるようになりました。
唯一この仕事の楽しいところは、デザインから自分でやれるということでしょうか。いつも新しいデザインを心がけていましたが、そう当たるものができるわけもありません。また考えて作っても、当然、全く売れないものもあります。売れないものはめっきが落ちかけたら捨てます。
一度だけ、自分でも結構満足したデザインがヒットしたことがあります。それまでのものとは感じが全く違うものでした。ハンブルグはもちろん、どの町に行っても売り上げの柱になりました。自分が考案したものが売れるというのは、お金が入ること以上に嬉しいものですね。

売り場は人通り優先

 新しい場所で店を出す場所を決めるまでには結構吟味します。日差しの方向や警察署までの距離(?)、そして人通りまでおおよそを見て回ります。普通は人通り優先で最も多そうなところの道端を選んで、濃紺あるいはエンジのビロードの布を広げます。ビロードはその上の商品に高級感を与えてくれます。特に夜は店じまいした店のショウウィンドウの前を選びます。ショウウィンドウの中からの光を受けて、くすんでしまった物までもがきれいに光り輝くのです。さびかけたものまでもがきれいに光ります。あこぎな商売と、少し心苦しく思わないこともありませんでしたが、損してもたった10マルク、と自分を慰めたものです。何より、私にはもう、その商売で何とかやるしか道はありませんでした。

 当然、ハンブルグ中央駅周辺には人通りの多い場所が多いです。特に駅と外を結ぶ地下道はお気に入りの場所でした。雨風の影響を受けませんし、人の数も申し分ありません。
週末は町の中心は人気がなくなるので、公園や、川沿いのプロムナードを狙います。また、毎週たつ日曜市フィッシュマルクトにも出したことがあります。また、移動遊園地なども時に効果的です。
とにかく人通りを求めて、ハンブルグ中を歩き回ったものでした。昼も夜も、週日も週末も無い生活が続きました。

ザンクトパウリのレーパーバン

ハンブルグのユースホステルから数分歩くと、世界に名だたる歓楽街があります。ザンクトパウリ地区のレーパーバン通りには、多くのナイトクラブやカジノ、あるいは公営の慰安所のようなものまで、多くの店が軒を連ねています。国内外の観光客や外国航路の船員などで、明け方までネオンと人通りは絶えず、夜はいつも多くの客でごった返しています。
 もちろん、ここも商売のメインスポットの一つです。昼間、他で仕事したあと、夜はレーパーバンですごすといった生活パターンが基本になりました。ここの裏通りには、うらぶれた安宿が沢山ありましたので、夜の商売にはとても便利な場所です。本当は最も安いユースホステルに泊まりたいのですが、そうできない事情がありました。

 外での仕事が終った後、まだ仕事があるのです。私たち針金細工士は、夜に翌日の分を仕込まなければなりません。針金を伸ばしたり切ったり曲げたりする音は、昼はほとんど聞こえませんが、夜中屋内でやると、針金をニッパーできる音が、パッチンパッチンとかなり耳につきます。数人と相部屋のユースホステルではとてもやれたものではありません。いきおい、レーパーバンのホテルにとまることになります。

日本レストラン サッポロ

 この裏通りにサッポロという日本レストランがありました。レストランというよりも、小さな食堂といったほうが適当でしょうか。若い日本人夫婦が経営していました。客は近くに住むイタリア人やドイツ人のオカマといった歓楽街で働く人々だったようです。彼女ら(?)いつも厚化粧で大柄で、服装が思いっきり派手で、すぐそれとわかりました。最初気持ちが悪かったものの、いつの間にか彼らとも顔なじみになり、挨拶を交わすようになっていきました。
 サッポロに初めて入った日、何を食べたか今でもはっきり覚えています。鳥のから揚げとご飯だけです。1年ぶりの日本食でした。うまかったー。うれしいことにご飯は御代わり自由ということでしたので、3切れほどの鳥唐で、ご飯は10回お代わりさせてもらいました。そのときトンと忘れていた“満腹”という言葉の意味を改めて知りました。パンでは味わえないこの胃袋の重量感、、。
 レストランにとっては赤字だったとは思いましたが、おかげさまで、心も身体も久しぶりに大満足でした。ありがとうございます。その後も、行商から帰った週末、毎週のようにお世話になったものでした。真冬、北ドイツの小さな町を巡る行商は楽ではありません。週末のサッポロは、一週間の疲れを癒し翌週への鋭気を養う大切な場所でした。

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