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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移民のバイタリティー

7、マウントロイヤル

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、仕事は日本レストランで

11、お客はガッツ石松

12、バスボーイとスチュワーデス

13、車の運転免許

14、ありがとうニューヨーク

ニューヨークへ(`75/11-`76/6)


これは南米旅行を終えた後に、ニューヨークで半年ほど過ごした時のお話です。
アメリカの入国に際しては、不法就労を疑われないよう慎重を期しました。
アトランタでなんとか入国を果たし、やっと憧れのニューヨークに着いた時、
その街は圧倒的な光で迎えてくれました。

何処から入国するかが問題

南米旅行中にアメリカでの滞在地はNYと決めていました。唯一の目的が次の旅行のための資金稼ぎなので、先ず第一に如何に稼ぎやすいかということ、そして不法就労の取り締まりがあまり厳しくないということを考慮しました。多くの口コミから得た情報をもとに、いくつかの選択肢の中からNYを最適地と決めていたのです。残念ながら、住みやすさとか観光地が近いとか、といった事を考慮する余裕はまったくありませんでした。ただ、次の旅行のための資金稼ぎだけが目的だったのです。
 メキシコからアメリカ(USA)へ、何処からどうやって入るかが大きな問題であった事は南米編の最後にお話ししました。メキシコに入ってからというもの、アメリカ入国が気になって観光どころではありませんでした。ましてや遠い南米のことを懐かしんでいるような気持にはなれません。どこからどうやって入国するのが確実なのか(長期間旅行していることから、就労が入国目的でないことを疑問視されないか。)、万が一入れなかったら、、、そんなことばかりを考えて胃が痛くなるような日々が続いていました。
 ビザは取っていたので入国できるだろうとは思っていましたが、かなりの長期旅行者であることと所持金が少ないことを考えると、本当に入れてもらえるかに100%の確信はありませんでした。カナダ入国時のようなことが無いよう、とにかく入国をより確実にすることが肝要です。そこで、最も一般的な陸路のエルパソは外し、あまり入国審査がきびしくなさそうな地方都市から入ることを考えました。そしてNYへの途中にあり、かつあまり名前を耳にしたことがないという理由でアトランタを選んだ次第です。特に決定的な情報があったわけではありませんが、何となく審査が緩そうな気がしたのです。まあ、いくら考えてみても確信が持てる方法は無いので、ある程度の思いきりも必要でした。

感激の入国

 そういうわけで、メキシコシティーからアトランタへの飛行機の中では少し緊張気味でした。もっとも、以前ロンドンからモントリオールへ飛んだ時ほどではありませんが。そして緊張の入国審査ですが、期待通り、いやそれどころか拍子抜けするほどあっけなく終わりました。そしてその日の夕刻、私はアトランタ空港のターミナルビルの外にいたのです。そこにはやっとの思いで立てたアメリカがありました。澄み切った晩秋の空は暮れかかり、ひんやりした空気が流れていました。思わず出たガッツポーズに力を込めて、入国できた喜びに思いっきり浸りました。
 思えば、アメリカのビザ取得が困難なことがわかって途方にくれたのは2年以上前のことです。それからビザの取得を何度もトライした末、やっとこうして入国を果たすことができたのです。人生をかけて移住でもしようというわけではありませんが、その時の私にとって長い間の大きな夢がかなった瞬間でした。普通は何のことは無い入国が、当時の私には大変なことだったのです。
 そして、入国を果たした今、一仕事終えたような満足感や安ど感の中、気持ちに少し余裕ができたせいでしょうかふとまた南米でのことが思い起こされました。変化に富んだ美しい自然、旅先で起きた様々な出来事、そして何より、そこで出合いしばし同じ時間を共有した人々のことが一人ひとり、無性に懐かしく思い出されました。そう、モントリオールからジャマイカへ飛んだ日からもう1年半もの時間が過ぎていたのです。入国の感激とともに遥かな南米への想いで胸がいっぱいでした。それまでの緊張感から解放され、やっと本来の自分に戻ることができたようでした。

初めてのアメリカ

 気がつくと、わずかに赤みを残して空はすっかり暮れていました。急に感じた空腹に売店で買ったハンバーグをパクついているともう真っ暗です。アトランタは黒人が多いようです。空港でも、街中でも同様です。その性なのか、あるいは南米で長い時間を過した直後だからでしょうか、整然とした街中も少し殺伐としたようなものさえ感じました。グレーハウンドのバスターミナルへの道を聞いたのも全て黒人です。暗くなるとその表情が良く分からなくなる彼らを前にすると、久しく感じた事の無い緊張感を覚えました。そして何度も聞かされた事を思い出します。アメリカでは夜の公園は危ないとか公衆トイレには入るな、とかいったような話です。着いた先、夜のバスターミナルの雰囲気にも落ち着かないものがありました。派手な落書きや汚れが目立ちます。酔っ払った黒人も気になります。バスが出るまでしばし、新しい国の洗礼を受けたような気持ちにさせられたものでした。空席が大半のままNYへ向けバスが出たのは9時もだいぶまわった頃でした。
 NYまでほぼ丸一日がかりです。途中いくつかの街に停車しましたが乗り込む客は少なく、笑いが絶えない南米のバスとはまた違った、快適なバスの旅が続きました。途中多くの街や自然の中を通りましたが、窓越しの光景に一つ感心したことがあります。通り過ぎる家々がとても広い庭をもつ瀟洒な家ばかりなのです。紅葉した街路樹も美しく、手入れの行きとどいた広い芝生の奥に明るい木立に囲まれて住宅があります。たまたま別荘地か高級住宅街の中を走っているからなのかな、とも思ったのですが、どこに行ってもそんな感じなのです。全てというわけではありませんが、どうもそれが郊外の平均的なアメリカの住宅らしいということに気がつくのにそう時間はかかりませんでした。ヨーロッパも豊かな雰囲気がありました。当時我日本は高度経済成長期にあり、エコノミックミラクルなどとアジアの国々から尊敬を集め世界を驚かせていました。しかしながらその生活レベルにおいて、まだまだ彼らには遠く及ばないということを改めて実感した次第です。初めてのアメリカに感心し、休憩所では特大のハンバーグに舌鼓を打ちながら快適なバス旅行をエンジョイしていると、二日目もあっという間に日が傾き始めました。秋の日が暮れるとNY到着はもう間もなくです。

ニューヨーク

 暗くなり街の灯が明るくなると、入国の感動もそれまでのゆったりとした気分もすっかり冷め、期待と不安で気が高ぶります。NYに近づくにつれ通り過ぎる光はひときわ明るくなり、周囲の景観が都会に近づいた事を教えてくれます。やがて遠くに、かつて知った摩天楼と思われる建物群が見えてきました。エンパイヤーステートビルと思われる建物も認識できます。と思ったのもつかの間バスは坂を下り始めトンネルに入りました。どうやらハドソン川の下をくぐっているようです。その先の出口はマンハッタンのはず。オレンジ色の光の中で期待は高まります。ほどなくバスは巨大なバスターミナルに到着しました。地階にあると見えて外の様子は分かりませんが、何十台ものバスがひっきりなしに出入りし、ターミナル全体が足早に行きかう人々でいっぱいです。小さなバックパック一個を受け取り、そんな人込みをかき分け右も左もわからぬまま外に出ると、そこは高層ビルの光の塔が林立するマンハッタン、NYのど真ん中でした。始めてみる摩天楼は高く、明るく、通りを埋め尽くす車と光と喧騒とともに大都会のエネルギーが圧倒的なまでに押し寄せてきました。夢にまで見た街にとうとうやってきた事を実感し、ターミナルの前でしばし我を忘れてしまいました。
 さて、先ずは宿探しです。バスターミナルからほんの数ブロック先にタイムズスクエアーがあります。そこからさらに1ブロック先を少し入ったところが目指すホテルです。南米旅行中に口コミで知りました。予約はしていませんが、満室だったら?なんて考えたこともありません。もともと予約なんかして泊るようなホテルではないということもありますが、既に5年も旅行をしている性か、安宿はなんとかなるという感覚が身についているようでした。都会ほど選択肢は多く、少しの労力を厭わなければ全く心配はいらないのです。それはビルとビルの間で窮屈そうな小さなホテルでした。部屋に入り7階の小さな窓を開けると、通りの向こうにはタイムズスクエアーの灯りが見え、ブロードウエイの喧騒も聞こえてきました。窓から入り込むひんやりした風を受け、その時私はニューヨークにいることが嬉しくてしょうがありませんでした。
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