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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移民のバイタリティー

7、マウントロイヤル

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、仕事は日本レストランで

11、お客はガッツ石松

12、バスボーイとスチュワーデス

13、車の運転免許

14、ありがとうニューヨーク

ありがとうニューヨーク


慣れ親しんだ生活にピリオドを打つのはいつも辛いものがありました。
エネルギッシュな空気をもっともっと感じていたいのです。親しくなた人々と別れたくないのです。
でも、6月半ば私はチューリッヒへ向けて旅立ちました。
バイクでヨーロッパを巡り中東を経てインドに行くために。そして帰国するために。

居心地の良い街

 NYは居心地の良い街です。なぜそう感じるのか自分でもよくわかりませんが、街全体を覆う自由な雰囲気がそうさせるのでしょうか。通りのいたる所では大道芸人たちのパフォーマンスが目を引きます。レゲエ等のカリビアン系からラテン系まで様々です。行き交う人々の人種構成も様々で、黒人系から少し歩けば中華街やスペイン街等もあります。颯爽としたビジネスマンが闊歩するウォール街や、世界中からの観光客で賑わうエネルギッシュなタイムズスクエアー。そして都会の真ん中とは思えないような広い草原や森もあるセントラルパーク、とのびのびしてしかもメリハリの利いた雰囲気があります。なにより、お会いした皆さんの誰も彼もが大きな夢を抱いているという事がそんな気持ちにさせてくれたのかも知れません。
 ただそんな雰囲気を楽しむ一方で、それは私にむしろ自制の気持ちも抱かせてくれました。そしてまたこんな思いが繰り返されます。「いつまでもこんな風来坊の様な生活を続けていて良いのだろうか。」、「日本に帰ったらどうするんだ。」と。いくら考えてもなかなか明確な答えは出せませんが、もうそのことからいつまでも逃げていられないことを悟りました。南米旅行で一通りの目標は達成しました。もちろん、まだまだ行きたいところややりたいことはありました。もっとこんな雰囲気に浸って居たいとも思いました。でも、旅を始めてもう5年です。その後もそんな生き方を継続するにしても、ここで一旦帰国するのも良いかもしれないと思うようになったのです。

出国はフリー

 NYは初夏を迎えていました。連日空は青く晴れ上がり、吹く風は爽やかで毎日快適な日が続いています。セントラルパークは緑の光に満ち溢れています。道を覆う街路樹は風にそよぎ、その下を行きかう多くのサイクリストの表情も一段と生き生きしてきました。冬の間氷に覆われていたハドソン川も、今は夏の陽光を反射し眩しいほどに輝いています。夏は良いですね。梅雨の無い夏は本当に最高です。
 毎日の仕事は楽しく、フリーの時間の街の散策や友人らとの語り合いもエンジョイしていました。肝心の資金も希望通り順調に増えています。何も問題はありませんでした。いつまでもそのまま住み続けたいとさえ思いました。私たち長期旅行者の間では、「沈没する。」といった言葉が使われることがあります。旅行者が移動を辞めある場所に居ついてしまうことです。一人旅が長いとどうしても人恋しくなります。そして少しでも深く人や土地にかかわると、その人々と別れそこを去るのがとても辛くなります。そして、不法就労、不法滞在の身と分かっていてもそのまま離れられなくなってしまうのです。良いとか悪いとかといった問題ではなく、それが人生の出会いであり、各々の人生なのでしょう。それが母国で起きるか海外で起きるかの違いだけだと思います。そしてその時人はいずれかの道を選択しなければなりません。そしてそれがどんな道でも、幸いきっとそれなりに充実して楽しいのだと思います。
 私がその時選んだ道が、近いうちに帰国することだったというだけのことです。国には両親がいます。田舎に生まれた長男としては、何時かは帰らなければならないと思いました。長い間旅をし、世界を身近に感じられるようなったその時、国際的な場で生きたいという思いは少なからずありました。でも両親のことを思う時、極東にある小さな島の一地方で生きることが自分に課せられた運命なのだと思いました。いや、無理やりそう思いこませようとしたのかも知れません。今にして思えば、少々古臭い考えに囚われていたようですね。ただ良く考えた末に出した結論でした。違う人生があったのかもしれませんが、後悔はありません。ニューヨークで出した私の決断は、その場の雰囲気とは正反対のものだったようですね。 

 そのまま直接帰国する道もありましたが、その前にヨーロッパを旅行して、中近東インド経由で帰ることにしました。インドはこの旅をスタートした国で、大好きな国の一つでもあります。また中近東の夕暮れの空に流れるコーランも懐かしく、また何時行けるか分からないのでどうしてももう一度行きたかったのです。

 ケネディ空港での出国手続きは拍子抜けするほど簡単でした。何の検査も無かったのではないかとさえ思います。パスポートを良く見れば不法滞在したことが分かってしまうので、どうなることかと少しドキドキしていましたが、全く何のチェックも無いままゲートを通り過ぎてしまいました。去る者は追わずということでしょうか。
 出発の時刻が近付くにつれ、いつものように、そうこれまで何度も味わってきたように、NYを(慣れ親しんだ生活を)離れる辛さが増してきます。晩秋から夏までの半年間、そう長くはありませんが、私には十分すぎるくらいのいろんな出来事がありました。この間お会いした人々と共に過ごした時間を思い出すと、胸が少しばかり苦しくなります、、、、。が、そこはぐっとこらえて、楽しい思い出を残してくれた街に感謝とお別れです。ありがとうニューヨーク。さようなら皆さん。それから
10時間後、私は初夏の高原の空気もすがすがしい早朝のチューリッヒの空港にいました。
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