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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移住者のバイタリティー

7、マウントロイヤルとサイクリング

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、資金稼ぎは日本レストラン

11、お客はガッツ石松


12、同僚はスチュワーデス

13、車の運転免許

14、帰国はインド経由で

モントリオールへ(`74/3-`74/7)


モントリオールはいまだ氷に覆われていました。
覚悟はしていたものの、入国の際の取り調べは執拗を極め、精も根もつきてしまいました。

行き先を変更してカナダへ

 南米旅行をするにはさらなる資金稼ぎがどうしても必要です。また、何よりもアメリカ大陸へ渡らなければなりません。そのままヨーロッパで稼ぐことも考えましたが、これまでのドイツでの経験から、そこで割りの良い仕事にありつくのは非常に困難だと思われました。アメリカのビザはもらえないことを悟りさすがの楽天家も暗澹たる気持ちでした。また日本でアメリカのビザを取る方法もありますが、帰る旅費がありませんでした。

 しかしながら、いつまでも手をこまねいているわけにはいきません。何とかしなければならないのです。先ず知り合った旅行者などから情報を集めました。ロンドンでの可能性を含めて他のヨーロッパの諸都市でのバイト状況を聞いて回りました。合わせてアメリカのビザの取得方法やカナダの入国状況についても調べました。でもどれも都合のよいものはありません。
ここは相応のリスクを取るしかないようでした。

モントリオールへ

 既に当時からカナダと日本の間にはビザ協定があり、短期滞在の場合はビザが不要でした。ただし、それだけに入国時のチェックは厳しく、空港で追い返されたという話も一つや二つではないようです。長期旅行者の私が不法滞在や不法就労目的であることを疑われる材料は多く、必ず入れてもらえるという保証は全くありませんでした。とても不安でした。“もしだめだったら”、“そのままモントリオールの空港からロンドンに戻されたら、、しかも正規の航空料金で、、、”と考えると非常に恐ろしいものを感じました。でも、このままではわずかな所持金はさらに減る一方ですし、ロンドンで見込みのないバイトはできません。そしてアメリカにも入れない状況では他に選択肢はありませんでした。南米旅行実現のためには、もう、いちかばちか行ってみるしかなかったのです。
 ある大学の学食の掲示板で学生向けのえらく安い便を見つけました。なぜかマドリッド経由のモントリオール行きです。ロンドンに来て10日あまり経ったある日の夕方、夕暮れまじかのヒースロー空港を後にしました。でも、いつものようなわくわくする旅立ちの喜びはありません。10時間後なんとかカナダに入国できることだけを、ただ、ただ、祈るのみでした。思えば、初めてのロンドンなのに旅行などとは縁遠いもので、時間はただ不安と慌ただしさの中で過ぎてしまったようです。又いつの日か訪れることもあるでしょう。そして次はゆっくりと時間を過ごしたいものと思いました。当たりまえのことなのに、沈みかけた夕日がなかなか沈まないことが妙に気になったものです。

真っ白なセントローレンス川

 大西洋を越えた飛行機はやがて、セントローレンス川の河口上空にさしかかりました。窓の外を見て正直驚きました。見えるのはどこまでも無彩色の雪と氷の世界なのです。広い河口はびっしりと氷で埋め尽くされていました。春のロンドンでは思いもよらない光景です。カナダの冬が想像以上に長く厳しいことを知った瞬間でした。

 飛行機の窓から見下ろしていると、なぜか心の中まで寒くなってきます。入国への不安がつのります。仮に入れたとしても、寒風の中を当てもなく仕事を探しまわる自分の姿が見えます。
やがて、夕暮れの雪景色の中に街の灯がともり始めました。こんな氷の世界で仕事が見つかるのだろうか。金は貯まるのだろうか?その前に、いったい入れてもらえるのだろうか?新たな大地を前にして、沸いてくるのはただいたたまれない不安だけでした。やがて飛行機は、日がとっぷりと暮れた空港に着陸しました。

入国審査は別室で

 入国審査は執拗を極めました。予想通り一緒に来た乗客とは離されて、私だけパスポート検査場に隣接したパネルで囲われた部屋へ通されました。小さな机といくつかの椅子があるだけの殺風景な部屋です。覚悟は十分していたつもりでしたが、聞くのと実際に体験するのとでは大違いです。何とか入国したいという気持ちが強ければ強いほど不安は増し、緊張してしまいます。
暫くすると若い審査官が一人入ってきました。いきなり質問攻めです。どこから来た?どこへ行く?滞在期間は?知り合いは? 所持金は? 親の職業は?そして 入国理由は、、、?
次に、私の所持品を全て机の上に広げるように言われました。小さなザック一つですから何のことはありませんが、審査官は私の日記帳に興味があるようでした。ページを1枚1枚めくり始めました。書いてあるのは殆どが日本語ですが、知り合いの住所がアルファベットで書いてあるところで、“これは誰だ?どういう関係だ?職業は、、?付き合いは長いのか、、、?”ときます。悪いグループとの関係を疑っているようでした。審査官殿の質問を聞きもらすまいと神経を集中するのはもちろん、墓穴を掘らないように回答内容にも最大限の注意をはらいます。加えて、とても流暢とはいえない英語です。神経を擦り減らすような時間がながれました。審査官の取り調べ?は1時間ぐらい続いたでしょうか。いつまでも終わらないのではないかとさえ思われた長い長い審査もやっと終わったようで、彼は部屋から出て行きました。

繰り返される執拗な審査

 やれやれと思っていたら、今度は他の審査官が入ってきました。さあ解放かな?と思ったとたん、なんと彼もまた質問を始めました。前の彼と同じような質問です。それでまた、冷や汗30分です。つたない英語に加えて、取調べの目的がわかっているだけに、緊張で質問の一つ一つが気の遠くなるほど長く感じられました。それでも何とか答え終え、やがて二人目の審査官も出て行きました。やっと終わったのかな、、、?いくらなんでもそれで終わりだろう、と思いました。もう後は審判を待つだけです。回答疲れからか、すっかり弱気になりました。もうだめでもいいや、質問はもうたくさんだ、、、と。
しかしながら、まだ甘かったようです。程なく3人目の審査官の取調べが始まりました。またまた同じような質問です。ただ英語を話すだけでも疲れるのに、嘘をつき通すのにすっかり疲れてしまいました。頼むからもういい加減にしてくれーっ、ダメならダメといってくれーっ、、と半ば入国を諦め、開き直った頃にやっと入国が許可されました。持って来た書類の束から真新しく入国許可印が捺印されたパスポートを、彼がニコニコしながら渡してくれたのです。そして彼は最後にこう付け加えました。「若い頃に見聞を広めることに私は100%賛同します。幸運を!」、、、、!? 
入国できる喜びもあってか、思いがけなくも、職務を越えた心のこもった言葉を聞いてグッときました。握手した彼の手を思わず強く握り返しました。
もうへとへとでしたが、空港の待合所の椅子に身体を深く沈め、しばし入国できた喜びに浸りました。外は風が強いのか大きな窓越しに街路灯が揺れているのが見えました。なぜか、とても優しく美しく感じられました。


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