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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移住者のバイタリティー

7、マウントロイヤルとサイクリング

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、資金稼ぎは日本レストラン

11、お客はガッツ石松


12、同僚はスチュワーデス

13、車の運転免許

14、帰国はインド経由で

ママと移民


深夜まで続くママのハードワーク。移民以来の長い間、寝食を惜しんで休みなく続けてきたのでしょう。
厨房の奥で春巻きを巻き続ける彼女の姿に、移民のバイタリティーを感じました。
また、彼らと同じ屋根の下での寝起きも楽しい経験でした。

移住者のバイタリティー

ところで、ママは深夜仕込みの仕事が終わるのが1時過ぎとのこと。床につくのが2時。翌日10時に厨房に立つとして遅くとも9時には起きねばなりません。厨房の仕事は肉体的にかなりきついので、疲れが完全に取れているとは思えません。そのせいか、客の少ない時間帯に10分、15分と仮眠することがあります。脚を投げ出し、痩せているとはいえないその70才を越えた身体を米袋の上に横たえている姿は、完全に疲れ切ったといった様子で、とても痛々しくさえ感じられました。でも、次の瞬間には汗を流しながら大きなパンの上で調理をしているのですから驚きです。そんな生活を休む暇もなく何年も繰り返えしてきたことでしょう。私の安っぽい同情などくそっくらえとばかりの力強さがありました。

 深夜春巻きの仕込みが終わった後は春巻の皮巻き?です。年寄りの手の動きとは思えないほど速く、器用に巻いていきます。手を動かしながら、ポツリポツリといろんな話をしてくれます。特に彼女の移住の話は印象に残りました。以前、台北で食堂をやっていたのですが、ご主人を早くに亡くされたそうです。そのため家族を抱えて生活が厳しくなったために新天地に活路を見出すべく移住を決めたそうです。最初家族を台湾に残して単身カナダにやってきました。言葉もできない中で、メインストリートに店を出せるようになるまでには大変な苦労があったようです。

その後残してきた家族を呼び寄せやっとみんなで一緒に暮らせるようになったとのこと。ただどこも同じようで、今の若い者は何を考えているのかわからない、苦労を知らない、、、とこぼしていました。でも、そう話す口振りも表情も日中とは違いとても穏やかです。きっと、店が繁盛することなどよりも、家族とお孫さんに囲まれていることが、今はとてもしあわせなのでしょう。私は12時に上がりますが、その時彼女はまだ厨房の奥で一人春巻きを巻いていました。家族のために未知の世界に夢を見、そしてそれに全力で挑んだ彼女。とても素敵な女性だと思います。でも、もう、あまり無理をしないでくださいよ。家族のみんなの願いは、ママがいつまでも元気でいてくれることなのですから。

寝起きを同じ屋根の下で

 6月半ばギリシャ系の軽食喫茶を辞めました。みんないい人ばかりで報酬もまあまあ、オフィス街への出前も嫌いではなかったのですが、オーナーからソーシャルセキュリティーナンバー取得を要求されていたのが引っかかっていました。新しい生活に慣れたとはいえ、所詮不法就労の身の上です。いつ入国管理局に知られて強制退去処分になってもおかしくないのです。いつまでもうやむやにしておくわけにはいきませんでした。その点、その辺はやや寛容な中華の方が安心でした。

 そこで、先従者が辞めたのを期にモーニングから通しでこの中華レストランで働くことになりました。といっても、朝からランチまでは支店で働きます。支店は10ブロックほど離れた中心部からは少し離れた一角にありました。そこはママの甥が経営を任されています。彼の希望なのでしょうか、一般的な中華とは少し違うややモダンなつくりの店構えです。あの赤や金の色を多用しすこし暗めの雰囲気に比べて、窓は大きく明るく取りから店内が良く見えます。最近出店したばかりで知名度はまだまだようですが彼はやる気満々です。シェフは本店の若奥さんの御主人です。彼の小柄で筋肉質の体が小気味よく動き、よく通る声がこれまた明るく広々した厨房に響きます。彼らのやり方についてはママにはいろいろと不満なことが多いようですが、きっといつの日か本店同様評判の店になることでしょう。
 この辺もオフィス街です。モーニングサービスがあるので朝の勤務時間は変わりませんが、故有って宿が近くなったのでその分少し余裕ができました。おかげで寝不足もあまり感じなくなったようです。またランチまでの間少しですが休憩時間が取れるようになりました。

 勤務地を中華一本絞ると同時に、彼ら一家が住んでいる建物の3階の物置を格安で貸してもらえることになりました。ママの計らいでした。毎晩、深夜彼女の手伝いをしながらいろんなことを話すうちに、私の置かれた状況がわかりすこし気にかけて頂いたようでした。彼らが住んでいる建物は市の中心部からそう遠くない所に有りますが、モダンなオフィス街とは異なり、やや古風な建物が多い地域でした。
 木造3階建で昔のオフィスだったようです。3階の広いフロアーには、多くは無い荷物が雑然と置いてあり他はパーテーションの様な物で仕切られているだけでした。その一区画の5メートル四方程度が私の部屋(?)になりました。明りは40ワット程度の裸電球が数個あるだけ。不法就労の身の私にとっては、宿代が大幅に節約できることは何よりの魅力でした。また、通勤時間も大幅短縮です。ともかく、雨風がしのげればどこでもかまわないので、その床にキャンプ用マットと寝袋を敷いて寝ることにしました。

深夜の侵入者は台湾の女優?

  ただ、それまでには無かった楽しい付録もありました。夜寝る前には時々、階下のメイやミミとその弟がのぞきに来るようになったのです。パーテーションの陰から覗き込んではキャッキャッと少しふざけるだけなのですが、長い間夜は一人で過すのが当たり前だった性か、そんな時自分でも理解できないほど気持ちが高ぶったものでした。ただ、すぐ母親が上がってきて、少し困った様子で彼女らを叱り連れて戻ります。彼女には同じ屋根の下での私の存在が少し迷惑だったのかも知れません。でも、ママが決めたことなので仕方がありませんし、そう長い期間でもありません。私にとってもこれ以上ありがたい条件も無いので、彼女のことはあまり気にしないことにしました。

 ある夜寝ようとしていると、誰かが階段を上がって来る音がします。またミミかなと思って脅かそうと待ち構えていたら、現れたのは意外にもすごい美人だったので驚いてしまったことがあります。40ワット電球の薄暗くだだっ広いフロアーでの事です。当然彼女の方がもっと驚いたらしく、キャーッと叫んで後ずさりし腰を抜かさんばかりでした。薄暗い部屋の中から下着姿同然の予期せぬ男が出てきたのですから無理もありません。とっさに、怪しいものではないことを訴えましたが、最後まで彼女の興奮は消えなかったようです。深夜に美女に会う事は嫌なことであろうはずはまったくありませんが、何が起きているのか分からず、いろいろ考えてなかなか寝付けませんでした。
 翌日、彼女は支店の経営者である甥の知り合いで、台湾でも有名な女優だったということが分かりました。台湾から遊びに来て泊めてもらったのですが、どうもその夜はトイレを探し回っていたとのことでした。おそらくあの様子では、”変な男”といった印象を払拭できないまま台湾に帰られたことでしょう。美人にそんなふうに思われるというのはあまりいい気もちのものではありません。家の間取りや同居人のことをちゃんと話しておいてもらわなくては困りますね、まったく。

よりよい明日を夢見て

彼らは、商売に積極的で、時々市内のあちこちで行われる催し物にも出店するようです。ある日、万博記念公園での催し物に出店しました。その公園は1967年に行われた万国博覧会の跡地で、パビリオンの多くがそのまま残されて夏季のみ開園しているとのことでした。(1982年までにパビリオンが取り壊され、以後は公園として開放されているようです。)その日も多くの人で賑わっていました。
 本業のレストランは休めないので、出店担当は本店と支店の従業員数人とメイやミミ、そして私です。朝から何やかやと忙しくてけたたましい声が飛び交っています。中国語がわからないせいで喧嘩でもしているように騒がしく感じるのですが、皆それを大いに楽しんでいることが、時々のぞかせる表情や笑い声から分かります。簡易店舗の設営や食材の準備などで公園とレストランを何度か往復します。あれが足りないこれが欲しい、となかなか大変です。

そうこうしている間に隣接する露店街はどんどん出来上がって行き、イタリア系、メキシコ系、フレンチ、と世界中の料理がずらっと並びました。
 開店と同時に、従業員の客寄せの大きな声が聞こえます。特にミミの甲高い声は良く通り、遠くからでもよく聞こえます。市民の中華料理の認知度はかなり高いらしく、客寄せする必要もないほどの客ですぐ人だかりができてしまいました。隣の店もそれなりにお客さんが入っており、誰も客寄せなどしていないのですが、それでもミミは大きな声を上げ続けます。要するに、彼女はめいっぱい楽しんでいるだけなのでしょう。ただそこに、彼ら中華系の移民の強さひたむきさの様なものを感じるのは、私の買いかぶりすぎなのでしょうか。ミミの大きな声は、祖母の苦労を理解したうえで、さらに大きく生きようと努力している両親らへの精いっぱいの応援のようにも思われました。カナダが、より明るい明日を夢見る移民の人々のバイタリティーが結集された、若く力強い国であることが思われました。
 準備したものは予定よりも早く完売しました。私はレストランの手伝いがあるので一足先に戻りましたが、なにより、とても楽しい一日でした。


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