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仕事は日本レストランで宿はタイムズスクエアーからすぐの安ホテルです。 日本レストランが沢山あるので、仕事はすぐ見つかります。 そして、より高給を求めて転職を繰り返しました。 宿はホテルマークウェルホテルの名前はマークウェル。当時私の様な日本人の貧乏旅行者が最も良く利用していたホテルの一つでした。その時も何人もの日本人旅行者がいました。皆さん長期です。私はそのうちの二人と一緒の部屋にさせてもらいました。もちろん、安く上げるためです。最初から観光とか勉強とかいったことは全く考えていませんし、できるだけ早く旅行の資金を稼ぐことが唯一の目的でした。宿は寝るだけなので何人と相部屋になろうと雑魚寝だろうと構いません。仕事の時間帯も違うし、お互い干渉しあわないという点で合意できたので何の問題もありませんでした。特に全員南米旅行の経験者で、時々その思い出話や武勇伝で盛り上がったりしてむしろとても快適に過ごせました。他の部屋にも日本人は沢山いました。最初少し驚いたのですが、当時こんなにも多くの日本人に会える事がとても意外でした。今にして思えば、海外旅行が容易ではなかった頃だからこそ、身動きが取れなくなる旅行者が多く、安宿に長期間たむろすることになったのでないかと思います。昨今はどうでしょうか。ともかくも、日本人としてのよしみから他のホテルの連中とも交流があり、時々集まっては旅の話や仕事の事で盛り上がりました。そこに集う誰しもNYを出れば一人ぼっちです。ほんのひと時ですが、皆にとってアットホームな時間ではなかったかと思います。沢山ある日本レストランNYには日本レストランが沢山ありました。話によると当時140店舗とか。広い座敷を構えた大きいところから、10席程度しかないような店まで様々です。中には日本人がイタリアンやフレンチを出しているところもあります。また、場所も広範囲にわたり、マンハッタンに限ってもダウンタウンからミッドタウンそしてハーレム地区まで広く点在しています。東北の田舎者の私は、既にNYだけでこんなにも多くの日本人が店を出していることに感心してしまいました。ずっと以前から、大きな夢を持ちそれにチャレンジした日本人が沢山いたことに、ただ感動するしかありませんでした。世界旅行だの何だのといきまいている自分がちっぽけに見えます。日本レストランでの従業員には日本から来たばかりの生粋の板前さんも少なくなく、現地人を雇うのではどうしても言葉の問題があります。そこで、日本語で指示が出来て心が通じ、必要に応じて使い捨てもできる私たちの様な旅行者が重宝されることになります。仕事はキッチンや客席周りの雑用が主です。食器や調理器具の洗い物や床の掃除、テーブルや椅子の出し入れ、皿引、不足食材の緊急買い出し、ゴミ捨て、、。玉ねぎの皮むきや、忙しいときは調理の手伝いもあります。エビの皮むきだけでなく背ワタを取ったこともあります。最初は和食レストラン報酬や仕事内容を気にしなければ、仕事はいくらでもありますので、着いた翌日から始めることも可能でしょう。私も、とりあえず、ということで数日後ある日本レストランで仕事を始めました。そこの主人は生粋の和食職人といった風な方で、どうもニューヨークと言う言葉の響きとは不釣り合い(余計なお世話ですが。)なかたでした。実はそこでいきなりエビのてんぷらを揚げさせられたのです。よほど人手が足りないようで簡単なレクチャーの後すぐ本番でした。私も手先は不器用な方ではないと自負していますが本当に任せてもらって良いのだろうか、と内心不安になったものでした。でも数をこなしているうちに、何だこんなものかできるじゃないかと、慣れたような感覚になったものでした。ところが後日、宿で日本人が集まった時、誰かからあそこのテンプラはまずかったというような話が出ました。それを聞いた時、ドキッとしたのは言うまでもありません。時期もほぼ合います。そして、たった1日だけだったのでそれは私の揚げたてんぷらではないかもしれないとか、素人に任せるのが良くないんだとか、一生懸命に自分自身に言い訳する自分がいるのでした。いくらやりくりが大変といっても、やはり任せきりは良くありませんよね。大きな焼肉レストランそこでの仕事は楽だしまあまあ気楽にできたのですが肝心の報酬が少なすぎました。そのままでは見通しが立ちません。それで、気にいって頂いたのに大変心苦しかったのですがそこは1週間ほどで辞めました。次はアメリカでも有名な焼肉レストランです。関連店の店舗はアメリカ中にあるとのことで、現地のビジネスマンを中心に人気があり大繁盛しているようでした。照明をかなり控えめにした広々したフロアーには、焼肉用鉄板を囲んで食事用カウンターが取り付けられたものが10ブロックほどもあります。各々のブロックはスポットライトで照らしだされ、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。客はその鉄板を囲んで座り、その目の前でコックが肉を焼きます。滑らかな包丁さばきで肉を切り分け塩や醤油ベースの調味料を付けて焼いていきます。そんなスタイルと醤油味がアメリカ人に受けたということでした。当時アメリカでも勢いのある店になっているということでした。
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