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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移民のバイタリティー

7、マウントロイヤル

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、仕事は日本レストランで

11、お客はガッツ石松

12、バスボーイとスチュワーデス

13、車の運転免許

14、ありがとうニューヨーク

車の運転免許取得


初夏のセントラルパークは緑が萌えて美しく、吹きわたる風は爽やかです。
そんな中、自動車の運転免許取得に挑みました。夜のフリーウエイやブロードウエイ、そしてダウンタウンのラッシュアワーと、緊張感の中にも気持ちの高揚を感じました。

短い春と初夏のセントラルパーク

 3月に入ると通りが急に明るくなったように感じられます。やっと春になったかなと思っているうちに気温がぐんぐん上がります。そして4月にはもう摂氏30度を超える日も出てきます。モントリオールで感じたあの3日春といったようなことがここNYでも同じなのかもしれませんね。冬から夏へあっという間でした。気がつくと通りを歩く人々の服装はすっかり夏。街路樹も新緑が目にも爽やかです。ここ高緯度地帯では日の長さの変化も半端ではありません。ピアノバーから帰る早朝は冬の間もちろん真っ暗でしたが、それが、次第に空が明るくなってきます。5月にはすっかり夜が明けるようになりました。爽やかな早朝の空気の中ジョギングや散歩する人も目にするようになります。私もまっすぐ帰って寝るのがもったいなく、そのままセントラルパークへ行ったこともあります。
 初夏のセントラルパークは本当にきれいです。緑が美しい芝生はどこまでも広く明るく、通りや池を囲んで繁茂する木々の新緑はまぶしいほどです。そして吹き抜ける風は思わず深呼吸したくなるように爽やかです。大都会のオアシスといったところでしょうか。公園をめぐる道路は新緑のトンネルが出来ていて、その下は風を切るサイクリングの自転車でいっぱいです。また、芝生の上には日光浴をする人や、バレーボール等のスポーツに講じる人もいました。一緒にサイクリングしたいとは思っても、すぐランチタイムの仕事が控えている私はただ見ているしかありません。それでも、そんなセントラルパークから元気をもらい、何とはなしにやる気が湧いてくるような気持ちになったものでした。

バイクよりも車の免許が先

 次の旅行ですが、ヨーロッパからインドまでのバイク旅行を計画していました。そろそろ帰国する潮時と思いましたが、もう一度インドに行ってみたかったのです。5年前に旅を始めたのがインドでした。おっかなびっくり始めた自転車旅行でしたが、その後旅先で出会った全てが懐かしく思われました。初めての外国だったせいでしょうか特にインドの印象は強烈でした。ヨーロッパも旅行らしい旅行はしたことが無かったので、ヨーロッパも周ってみたいと思いました。その後中近東を経てインドまでバイクで行くことにした次第です。
 さて、国際免許証を取得すべく運転の教習所にあたったところ、意外な事が判明しました。なんと、少なくともここNY州では、バイクの免許を取得するにはまず車の運転免許証を取得する必要があるということなのです。面喰ってしまいましたが、法律なのでいくらあがいてもどうにもなりません。ということで、まず車の運転の講習を受けることになりました。受講時間はランチタイムが終わる3時からピアノバーが始まる8時までの間を当てられましたが、教習のある日は仕事仲間とゆっくりお茶をしたりあちこち出かけたりすることはできなくなりました。

 いきなり路上

 アメリカには日本の自動車教習所に相当するようなものはありませんので、教習はもっぱら路上で行うことになります。最初はセントラルパークの東にある閑静な住宅街の路上で行われました。人も車も殆ど通らない一角で右折左折や駐車の方法を練習しました。教習用の車は、シボレーのなんとかといって、とにかく前も後ろも意味も無く突き出した車でした。今でこそ日本やヨーロッパの小型車が多いですが、当時はまだNYの街中でもそんな前後に伸びた車が多かったようです。
 数時間そんな静かなところで練習した後、教習は実践的になりました。先ず6車線の道路での車線変更や普通に混雑する道路での右折・左折に駐車・発進です。ある程度慣れてきたある日、教習はあえて朝のラッシュの時間帯で行われました。一連の簡単な練習の後、車はダウンタウンへ向かいました。そこはツインタワーの近くで車が3方向から合流する場所でした。あのでかい車がゆっくりした洪水のように一つの道へ押し寄せています。車のフェンダーと隣の車の間は10センチメートルほど、殆どこすりあいながら進んでいるといった方が適当かも知れません。進んでは止まり止まっては又少し進みます。一度に進む距離は数十センチほど。もちろん私は、ビビりっぱなしです。ぶつかるのが怖くてなかなかその中に入り込めないでいると、隣の教官が「スクイ―ズ、スクイーズ」と怒鳴ります。そんなこと言ったって、どうやって入れって言うんだよーっ!アクセルとブレーキの微妙な操作が要求されるだけに、なかなか入り込むタイミングがつかめないのです。いやはや冷や汗のかきっぱなしでした。何度も相手の車にこすりつけたと思いますが、彼らはあまり気にしないようです。日本ではそんなことあり得ませんよね。というわけで、アメリカの教習は実に実践的なのです。このラッシュ時の割込は、もともと教習カリキュラムに入っているようでした。

夜のフリーウエイ

さらにそのカリキュラムの中には、夜間走行と高速道路走行が含まれていました。先ず高速道路です。ご存知のように、フリーウエイがマンハッタン島を一周しています。ある日の夜これを一周しました。フリーウエイは東京の首都高並みに狭くカーブも急で、時速100kmほどですが防護壁にぶつかりそうになりながら走るような感覚です。いつものようにあまり余裕のない私は、前方に目を凝らしたまま最初から必死です。車はオレンジ色に照らされた薄暗い道を今まで感じたことのないスピードで走ります。時々教官から指示も出ます。右に寄れの左に入れのと、教習とはいえ、こっちは運転するだけで必死なのにごちゃごちゃ言わないでほしいものです。時々、光の摩天楼が目の片隅に飛び込みます。川の向こうには港やクインズ地区が光の海の様に見えます。極度の緊張感の中にも、今夜のフリーウエイをドライブしている自分を思って、少しばかり楽しくなったものでした。もっとも感心したのは、初心者が運転する車でフリーウエイを走る教官です。怖くないのでしょうか?ここNYでは命がけの仕事のようです。
 フリーウエイを下りた後は、セントラルパークからブロードウエイをダウンタウンへ向けて走りました。タイムズスクエアー付近はいつものように渋滞しています。通りは夜の街を楽しむ人々でいっぱいです。両側の広告塔からはまばゆいばかりの光が大量に降り注ぎ、劇場のまえではイブニングドレスも艶やかなセレブ然とした方々がそぞろ歩いていました。世界の中心とも言える街の豊かさやダイナミックさを感じながら、今自分もその街の一部になっていることが無性に嬉しく感じられたものです。その日の教習はそこから数ブロックのところで終了しました。そのままバイト先へ急ぎました。

試験管様、ちょっと待って。

所定の教習が終わるとすぐ運転の実技試験がありました。6車線の道を含んで1ブロックを一周して、縦列駐車するまでの簡単な物です。最も重視されるのは要所で安全確認をするか否かです。運転自体が下手なのは当たり前で、何より周囲の安全に常に気を配る意識の高さがポイントです。  
実技に合格すると数日置いて筆記試験がありました。試験は国連ビルの隣にあるオフィスの一角の小部屋で行われました。試験は常識的な問題がたったの20問。通常は10分程度の試験時間かと思います。受験者は20人ほど。始まって間もなく出来た人から退席し始めました。そしてすぐ、部屋に残っているのは私一人になってしまったのです。問題が難しいわけではありません。内容は常識的な物ばかりなのですから。問題文を確実に理解するために辞書を引くのに時間がかかるのです。必死で辞書を引いている私のそばに試験管がやってきて、「まだか?」と面倒くさそうに催促します。「もうちょっと、もうちょっとだけ待って。」と私。終わったのは最後の人が出てから15分ほどしてからでした。
 

 さて、車の免許は取りましたが、欲しいのはバイクの免許です。でもすこしばかり疲れました。またすぐバイクの教習を受けるのが面倒になってしまったのです。そこでとりあえず車の国際免許証を用意しました。普通車の欄にはAAA(アメリカ自動車協会)の文字が捺印してありますが、隣の自動二輪の欄が空欄になっていました。当たり前ですね。少し考えた後、自動二輪の欄に日本の1円玉で捺印することにしました。偽造です。悪いこととは思いましたが、外国は日本ほど免許証を重視しないことや、何よりこうして観光ビザで仕事をすること自体が既に犯罪であることから、なにを今さらという気持ちもありました。
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