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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移民のバイタリティー

7、マウントロイヤル

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、資金稼ぎは日本レストラン

11、お客はガッツ石松


12、同僚はスチュワーデス

13、車の運転免許

14、帰国はインド経由で

南米へ旅立ち


いよいよ南米へ向けて出発です。
脚がすくむほどの不安を抱えてこの街に着いた日から早半年近く。
いろんなことがありました。みんな良い人ばかりで、全てが楽しい思い出になりました。
そして、やはり、旅立ちは辛いものがありました。

ありがとうみなさん

 7月の末、モントリオールの街には毎日明るい日差しが降り注ぎ、澄み切った空に爽やかな風が吹きわたっていました。中華の一家は相変わらず皆元気で、レストランも以前同様に繁盛していました。厨房の慌ただしさは以前のままで、ママの深夜までの仕事も変わりません。良い天気のせいか孫たちはより頻繁に遊びに来るようになっていました。私も急な予約電話があっても慌てることもなくなりました。彼らとの生活は全く何の問題も無く、毎日充実した楽しい日々が続いていました。つい、自分の置かれた状況や目的を忘れ、そのまま住み続けるのも悪くないかも、、などと考えたこともありました。
 
でも、所詮不法就労の身の上です。入国時に許可された滞在期間はとうに過ぎています。そう長居できるわけもありませんでした。南米が待っています。そろそろ旅立つことにしました。思えば5ヶ月前、氷に覆われたこの街に降り立った時、私は南米への夢どころか、ただ恐怖にも似た不安を感じるばかりでした。その後いくつか職を変え、住居を変えてきました。そして季節も春から夏へ移り変わりました。そして今やっと、次の旅行への準備完了にこぎつけたのです。
 
希望をバックにしたハードワークが夢を手繰り寄せたとは思いますが、でもそれ以上に幸運が幸いしたように思います。そう、この中国人一家との出会いがあったからこそ、ハードワークも楽しく頑張れたのだと思います。彼らが私を単なる使用人という枠を越えて暖かく扱ってくれたおかげだと思います。あの時、暗い氷の街で、こんな素敵な出会いが待っていたとは、、、、。 
 最初ここでの仕事はもちろん、単に南米旅行のための一手段にすぎなかったのですが、彼らと過す時の経過とともに。まるで家族と一緒にいるようなアットホームさを感じるようになりました。ママにも家族同様の扱いをして頂きました。一人旅が長い性もあり、誰かと一緒にいることの心地よさに飢えていたのかもしれませんが、それ以上に、彼らの人柄や生き方に感銘を受けた気持ちが彼らにも伝わったからだと思います。彼らに会えて本当にラッキーだったと思います。

最後の夕食、さようならママ

  新たな旅立ちを決めた時、私の胸は希望に満ち溢れていました。8月始め、出発の前日でした。夕食時、まだまだ一杯になったままの洗い場で孤軍奮闘している私に向かってママが言いました。「エイチ、何が食べたい?なんでも一番好きな物を作ってやるよ。」いつもはママが独断で作ったものを皆黙って食べることになっているので、何を言われているのか理解できず、一瞬戸惑いました。その日で辞める私への餞別代りということでした。少し胸が苦しくなったまま、大好物の春巻きとチンジャオロースをお願いしました。

 夕食はいつもは手の空いた者からばらばらに食べるのですが、夜も遅くなったにもかかわらずメイもミミも帰らずに残っていました。ママも手を休めて少し汚れた割烹着のまま食卓につきます。彼女らと一緒にいただく最初で最後のにぎやかな夕食でした。そのおいしさもさることながら、特別な気遣いに感激してしまい、箸を運びながらもあっという間に過ぎた5ヶ月間の出来事が次から次と懐かしく思い出され、涙が止まりませんでした。ありがとうママ。ありがとうみなさん。
翌日、出発直前に空港からママに電話しました。そしてあらためて、感謝とお別れをつたえました。

空港職員の見送り

 空港へは自転車でいきました。資金ができたと言っても、お金持ちになったわけではありません。これからの長い旅を全うするには何事も節約を旨とすることが肝心です。もっとも、空港があまり遠くないことと、自転車で長い距離走ることが全く苦にならなくなっていたことが一番の理由ですが。
自転車を飛行機に積むとなると、そのままでは大きくて料金がばかになりません。そこで、自転車を分解してコンパクトにし専用の袋に入れることになります。空港の隅で分解作業をしていると若い空港職員が集まってきました。「何をやってるんだい?」「、、南米?」「自転車で?」「そうかぁ!あそこはいいぞ!ここは面白いぞ!」「いいな、おれもやりたいねー!」とにぎやかになりました。

 一方私はというと、空港職員に囲まれて実は心中穏やかではありませんでした。5か月前の執拗な取り調べの記憶がよみがえってきたのです。その後2か月の滞在ビザで5か月以上滞在しているのですから、不法就労、不法滞在の罪で罰せられる可能性さえあったのです。もちろん、それまでに聞いた話からある程度の勝算はあったのですが、本当に無事に出国できるか否かは滞在期間を通しての不安の種でした。

 ところが、去る者は追わずということのようで、滞在期間については拍子抜けするほど何のチェックもありませんでした。それどころか、彼らは皆、カウンターの向こうの可愛いレディーまでもが、自転車で南米大陸を縦断しようという私に共感し、口々に励ましてさえくれたではありませんか。海外への夢を追い求めた人々が創った国だけに、心の広い人が多いのでしょうか。自由でおおらかで懐の深いカナダという国の一端を垣間見たような気がしました。そういえば、入国審査のときにも担当の方の意外な言葉に驚かされたことがありました。

 昼頃、私の乗った飛行機はジャマイカの首都キングストンに向けて飛び立ちました。眼下には青いセントローレンス川とモントリオールの街が広がります。5か月前、氷に覆われたこの街を初めて見た時のこと、そしてそれからの様々な出会いが懐かしく思い出されました。
ありがとう、カナダ。ありがとう、モントリオール。そして、さようなら、みなさん。数時間後、私はバハマの明るい緑の海を見下ろしていました。
 
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