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北アメリカ滞在記

1、アメリカの入国ビザ

2、モントリオールへ

3、仕事は飲食関係

4、ハードワークは眠い

5、中華レストラン

6、ママと移住者のバイタリティー

7、マウントロイヤルとサイクリング

8、南米への旅立ち


9、ニューヨーク へ

10、資金稼ぎは日本レストラン

11、お客はガッツ石松


12、同僚はスチュワーデス

13、車の運転免許

14、帰国はインド経由で

中華レストラン


中華レストランでの仕事はキッチンヘルパーです。要は雑用係りと言ったところです。
従業員を束ねるのはシェフ、頑張り屋のおばあちゃんでした。

中華のシェフはおばあちゃん

3時5分からは中華レストランでのキッチンヘルーの仕事です。この中華レストランは、台湾から移民した中国人家族によって経営されています。厨房では70歳は越えているであろう祖母(家族のみんなはママと呼ぶ。)がシェフで自ら包丁を取り殆どの調理を一人でこなします。それを40代の息子の嫁と20代前半の親戚の青年がサポートします。

私の仕事は主に皿洗いと掃除などの雑用です。時々出前の注文にも対応します。特別な経験など不要ですし、これから将来コックになろうなどというつもりは無いので気楽なものです。3時5分に持ち場に着いた時、ランチが終わった洗い場は食器が山のようになっています。先ずそれを洗って片づけるのが最初の仕事になります。その時調理場では夜のメニューの準備が進んでいます。てきぱきと指示をするママのややしゃがれた声と、若いコックが下ごしらえをするトントントントンという中華包丁の小気味よい音が聞こえてきます。

予約の電話はフランス語

予約の電話も少しずつ入るようになります。通常は電話を取るのはただ一人いるウェイター氏です。ただ彼も、絨毯の掃除やテーブルのセット、それにシェフ(ママ)との打ち合わせ等で常に忙しそうに動き回っており、いつもすぐに電話に出られるわけではありません。時に、ベルはいつまでも鳴り続けることがあります。一方他の従業員はというと、英語に自信が無いのか、あるいは自分の仕事ではないと思っているのか、電話のベルがいくら鳴っても誰も出ようとしません。ウェイターがやってくるのをただひたすら待っているような状態でした。鳴り続けるベルにどうしても我慢が出来ずに、思わず私が取ったことがあります。案の定、その日の予約の電話でした。時間と人数そして名前を聞いただけでしたが、それだけで私は英語が流暢ということになってしまいました。おかげで以後、彼がいないときは私が電話を取ることになった次第です。
ただ、ここはケベック州。フランス語が公用語になっている土地柄です。世間で交わされる言葉は英語よりもフランス語が多いのです。ある日、いつものように電話を取って一瞬ドキッとしました。フランス語だったのです。幸い、なんとかお決まりのやり取りは何とかこなすことができましたが、冷や汗をかいた瞬間でした。アフリカ旅行中に少しばかりフランス語に触れた経験がこんなところで役に立ったようです。ただそのことで、エイチ(私)は“フランス語もできる”、ということになってしまい、それ以後何度か矢面に立たされることになった次第です。もちろん、フランス語も堪能なウェイター氏に助けを求めたのは言うまでもありません。

評判の店

 夕食時はいつも店は満席です。どうやらモントリオールでも評判の店の様です。御多分にもれず、忙しくなる時間帯の厨房内の状況はここも同じで、忙しさのピーク時はウェイター氏とシェフ(ママ)とコック(親戚の青年)の間で激しいやり取りが始まります。中国語なので全く聞き取れませんが、どのようなことを言っているかは大凡わかります。あれはまだか、数が違う、それを先にしてくれ、冷めたので温めてくれの、持ち帰るのでパックしてくれの、、、、と、みんな大変そうです。実は客席以外にも入口付近には席が空くのを待っている客がいます。週末にはその数が半端ではなくなります。

 そんな状況を知ってか、よく孫娘のメイ(16歳)とミミ(14歳)が来てはお手伝いをします。おばあちゃん(ママ)の手料理を御馳走になるのが目的の様ですが、ついでに接客サービスを手伝うのです。まだ10代の二人ですがとても活発で、中国人らしく物おじする様子は全くありません。英会話も問題なく、私にもいろんな質問をしてきます。おかげでママ(シェフ)意外にも話し相手ができて、私も彼女らが来るのを楽しみにするようになりました。とはいってもゆっくり話をする暇はあまりありません。店が忙しいときは私も忙しく、皿洗いなどのほかに、あの調味料を取ってくれ、これを継ぎ足してくれ、この鍋をかき回してくれ、倉庫から小麦粉を取ってきてくれ、、、と。
 でも、私は生来なぜかそういう混沌とした状況に居ることが嫌いではなく。“目の回るような忙しさ”をけっこう楽しんでいました。やがて次に何をすればよいのかも分かってきます。足りなくなりそうなものも事前に用意しておくこともできるようになりました。また、一人しかいないウエイター氏の手が回らない時は直接テーブルへ行って接客することもありました。
寝不足で時にふらつくような日々中、おかげで眠気を感じないで済んだのかもしれません。

最後の仕事は春巻きの仕込み

 私には楽しみがもう一つありました。夕食です。忙しさが一段落した頃、私たち従業員の遅い夕食が始まります。その食事も普通ママが作ります。時間をかけずに簡単な物を手早く作るのですが、これがいつも言葉にならないほどおいしいのです。私は自分の味覚に自信は全くありませんが、“評判になるのも当然”と妙に何得したものでした。手の空いた者から順に夕食を済ませてしばらくすると閉店になります。各々後片づけを済ませると一人ずつ帰って行きます。後に残るのはいつも私とママだけでした。

私の最後の仕事は翌日の春巻の仕込みの手伝いです。大きなフライパンの中にママが材料を入れます。それを私が両手に持ったフライ返しでひたすらかき混ぜるのですが、何しろ大量なのでなかなか重労働です。力を入れ過ぎてフライパンの縁で腕にやけどしたのは数えきれません。ポイントポイントでママがその中に調味料をぶち込みます。そう、見た目けっこういい加減にドバッ、ドバッと入れます。私が汗をかいている間に、ママは一方でスープの仕込みです。材料は肉も野菜も小さく切らずにそのまま入れます。玉ねぎなどは黄色の皮が付いたままでした。一晩煮込むと澄んだおいしい中華スープができるんですね。へーっ!!

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